日本で不良行為的な志向を持つ少年少女を指す俗語 。1970年代から1990年代にかけて日本の地方都市や郊外で発展した不良文化の一形態で、それらの少年少女に特有のファッション傾向や消費傾向などライフスタイル全般を含める場合もある。彼らは地元への強い帰属意識を持ち、暴走族や学校内での不良グループなど仲間意識を中心とした集団を形成した。 

 

地方の若者でも大学や専門学校に進学することが一般的になり、かつての「不良」と呼ばれた層が社会の中で新たな居場所を見つけるようになる。スマートフォンやSNSの普及により、若者たちは地元のコミュニティに縛られる必要がなくなり、LINE、X(旧Twitter)、Instagramといったツールを使えば、全国どこにいても同じ価値観を共有できる時代になった。

暴走族対策法の施行や警察の取り締まり強化により、ヤンキーたちのシンボルであった暴走族というバイク集団も大幅に減少。ヤンキー文化のアイデンティティそのものが崩壊し、ヤンキーは絶滅危惧種となった。

 

さて、自分が中学生だった1970年代前半、同級生宅に遊びにいったら、彼の19歳の兄が出てきて、いきいきと暴走族の話をした。阪神高速環状線を何週も車と単車で爆走する。走っている車の間を猛スピードですり抜けスカッとする。自分も車の助手席で気晴らしをしたらどうかと、一般道では単車の後に乗って後ろからついてくるパトカーをけん制したら楽しいぞとケツ持ちの予備軍として族に入るよう勧誘される。

 

熱心に誘われたが、爆走したいとも爆音をだして迷惑かけたいとも思わなかったので族に入らなかった。だから当時の自分は族でもヤンキーでもないと思っていた。他人に迷惑をかけて悪ぶるのがカッコいいことでも、それが何かに誰かに自己主張していることになるとも中学生の自分には理解できないし、肯定できることではないと漠然と思った。

 

1970年代前半からコンビニが爆発的に広がり、その駐車場でたむろしてタバコを咥えて座り込むのをヤンキー座りといった。決してカッコいいとは言えない。吸い殻はポイ捨て、何がカッコいいのかと思ったものだ。

 

自分の中ではヤンキーは族もしくはその周辺者、応援者とヤンキー座りなどの行動で社会のルールを逸脱する連中と定義している。中学生の頃、危うく族に弟子入りしていたかもしれないが寸前のところで回避した。自分的には今この歳になって回避して良かったと思っている。あなたのヤンキー感はどうですか?