自分がうつ病と診断されたのは忘れもしない平成23年3月、そう、その年の3月11日に東日本大震災が起きたから。大阪住まいのマンションの一室で寝ていた時に4階の部屋全体が揺れてる感じ。自分がめまいしているのかと重たく感じる体を起こして窓から外を見ると電線がユラユラ揺れている。テレビをつけると東北で地震、大津波警報が出ていた。あとでわかったが大阪のマンションは地震による長周期振動だった。
医師からうつ病の診断を受けた時、問診で医師は今勤務している会社の酷い過重労働が原因だから、3ヶ月の診断書を出すので、今日から会社にとりあえず3ヶ月間休むと届け出しなさいと言われる。3ヶ月が近づいたら、さらに3ヶ月ずつ延長していくので休養治療に専念しなさいと言われる。
その先生には収入が途絶えるので、診察代、投薬代などそして家計全体が心配だと相談する。自立支援、障害者手帳交付申請などその先生は本当に親身になって考えてくれた。診断書は患者の身になって記入してくれた。各保険金支給機関からの照会には支給につながる回答もしてくれた。
当時傷病手当金は直近3ヶ月の平均給与の8割が支給された。労災保険は6割だった。これは亡父の会社で人事の総責任者をしていたから知っていたことでもある。
現在、傷病手当金は労災保険と横並びで6割になっていると聞く。傷病手当金を健保連に申請することになった。支給期間は1年半だった。ほどなく認められた。1年半8割の収入になったが、家計の心配がなくなった。心置きなく療養に専念できると思えた。
因みに1年半の傷病手当金の受給期間が終われば障害年金に移行するが、まだ先のことなのでそこまで考えなくてもよいと思っていたし、考えることがしんどかった。日本年金機構から障害年金が支給されることは傷病手当金の受給が始まった時はまだ知らなかった。
きっとうつ病の診断を受けるだいぶ前に発症していたと思う。身体的症状は頭痛、めまい、動悸、高血圧、両足の痙攣、引きこもりの上の寝たきり、精神的症状は自己否定、自信喪失、自己嫌悪、自己矛盾、悲観的、思考力や記憶力の低下、孤独感、物事の優先順位がつけられない、日頃できていたことができなくなる、失敗したことの修正訂正ができない、強い自責の念、奈落の底へ落ちていく感じ、極度に沈む気分など。
うつ病になった直接的原因は先生が言っているように過重労働だと自分も思う。しかし、これは引き金でしかない。真の原因は亡父の会社が亡父のせいで倒産し、その解決整理に奔走した疲れとその精神的苦痛が約7年近く続いたことだと思う。
その発症の真の原因は今となっては目を背けたくなる過去ではない。中身を決して褒められたものではないが、人生において貴重な財産となる失敗体験で、誰もこんな経験はできないと思う。今はもう若くはないがゼロから這い上がる術を身につけられた。
以降の話は「生きることの意味4」のブログに譲る。