喜劇王チャップリンの名言に『人生は恐れなければ、とても素晴らしいものなんだよ。 人生に必要なもの。 それは勇気と想像力、そして少しのお金』(映画「ライムライト」から)がある。

 

この少しのお金の「少しの」が人生の真をついている。お金は現代社会を生き抜いていく上で絶対必要。論を待たない。

ただ、その多寡が問題。お金でとても苦労した人ほど大金持ちになって湯水のようにお金を使いたい人もいれば、そうでない人もいる。そしてお金で幸せを買えると思っている人も確かにいる。

 

自分の知人女性で1人だけそんな人がいた。元嫁でも自分の愛人でもない。自分にそんなお金はない。彼女は結婚するまで普通の家庭で育ったらしいが、夫は働かない職人でパチンコ狂だった。二人の女の子を抱えたまま離婚。想像を絶する貧乏暮らしをして水商売に。その店を自分が接待客を連れて利用した時に彼女を知る。その時彼女は羽振りのいい客を捕まえて公私ともに世話になっていた。娘二人を親に預けて海外旅行、数百万円の貴金属を買ってもらい、月々のお小遣いももらう。与えられたクレジットカードで洋服などを買いあさる。そんな客の彼氏もいつまでも続くわけがなく、お金が途絶え始める。すると手のひらを返したように彼を捨てて次の上客に乗り換える。

 

彼女は生きていく上でお金がすべて、生活に加えて必要以上の限りないぜいたくをするのが幸せで、そのお金を与えてくれる人が理想の大好きな男性になる。心はいらないようだ。ドラマ「やまとなでしこ」の桜子かと思うが現実にいた(笑) 今はどうしているのかまったくわからない。本当の幸せを手に入れたのだろうか。

 

お金はあるに越したことはない。何事もそうだが、お金も「過ぎたるは猶及ばざるが如し」と思う。大金はその持ち主を狂わせるし、その周囲の人間も狂わせる。お金でしか人と繋がっていられなかったり、繋ぎとめておけなかったり、周囲の人間もお金ほしさに媚を売る。相続でもあれば世に言う骨肉の争いだ。そこに尊重、信頼、真心、思いやりなど大切な心なんてありはしない。

 

自分も普通のサラリーマン家庭に生まれた。当時ではめずらしく亡父は自分が5歳の時に脱サラした。しかし、商売がうまくいかず自分が小学校5年生の時まで家庭をあけて麻雀に狂っていたため、生活はギリギリだったらしい。その時分に転機が訪れ亡父は会社を立ち上げ寝るのも惜しんで働き会社は急成長、自分が高校3年生の時に愛人をつくるなど以降ぜいたくの限りを尽くす。

 

亡父だけぜいたくしている間も会社は順調、しかし自分の大学入学金や4年間の学費がないため自分は学生時代バイトに明け暮れる。そして因果応報、自分が亡父の会社で社長就任をして3年あまりで亡父の長年の莫大なツケが回ってきてあえなく倒産。そこから生活に追われるたいへんな日々が続いた。

こんなことでお金の苦労というほどのことではないが、何せ亡父の会社の債務整理はとんでもないことだった。本当に辛かった。

 

自分のちっぽけな人生経験で感じたお金に対する意識は生きていくには絶対必要。だから毎月普通に生活。その上で年に1~2度旅行したり、月に1~3度飲みにいったり、外食したり、趣味をしたりというのがぜいたく、車やオシャレにまったく興味なし。預貯金は子供たちに残さない。葬式代くらいなら残してもいいが。自分の人生に使い切り。ギャンブルしない。タバコ吸わない。借金なし。というのが自分の金銭感覚であり経済事情だ。

その上でないものねだりだが、真心と思いやりを感じあえる人がいれば、常に一緒にいることができなくても、残りの人生は心豊かに暮らせる。穏やかにのんびり楽しく生きていきたいものだ。

 

地球上の人の数だけ金銭感覚があるが、チャップリンは生活していくお金は最低限必要という意味で「少しのお金」と表現したのではと自分は自分の都合のいいように勝手解釈した。

さてさて、みんなの金銭感覚はこれからの人生を見据えてどんな青写真なのだろうか??