和歌山を引き払い12年ぶりに大阪に戻って2ヶ月が過ぎた。一番寒い時に引っ越して、季節は春になったが、花冷えの真っ只中。

住まいを取り巻く状況がわかり、暮らしのリズムもようやく落ち着いてきた。住まい周辺の探検調査開拓も終わりを告げようとしていた。我が家の財務担当者は自分だ。とはいっても毎月簡単な家計の決算と予算をしているだけだが、生活サイクルの目途も立って、財務本部長としては家計の状況にたいへん満足できた。

 

そうしたら、自分の体の中にいる悪い虫が蠢いて、2月から開拓していたカラオケスナック2軒の内の1軒に行きたくなった。1つは明け方5時まで営業で、すでに4~5度お世話になっていて毎回5時頃まで歌いまくっていた。もう1つは土曜日26時まで以外は24時までで2月末の木曜に初めて利用させてもらい、そこでも歌いまくった。どちらにいっても自分は救いようのないカラ中だった。

 

自分の暮らしには全然関係ないが世間は年度末であり、移り住んできて2ヶ月となり、生活サイクル確立の目途も立ったのも確認できたので、3月の締めくくりに、26時までのカラオケスナックに行くことにした。何でも理由にしてスナックにいって飲んで歌うという自分はカラ中に蝕まれている重症患者だった。飲み屋さんの思う壺だ。

 

で、初めて行った時の話。そのスナックのママさんは自分より7歳年上。鹿児島県の離島出身。大阪のこの店で36年営業している。ママの年齢から70歳代以上の常連客が大半。ネットで調べて一見で飛び込んできた自分を痛く気に入ってくれて姐さん風を吹かしてくる(笑)。入店して1時間半ほど二人きりだった。

 

互いのおよその生い立ち、境遇を紹介し合っていたら、姐さんは独り身の自分にこれからそんな年齢で伴侶や彼女がほしいなら、女はみんなお金があるかないかで結局決めると貧乏人の自分に夢も希望もない説教をするので、それなら自分は独身でいるよと返事。とまあ、そんな話をしながらも、なぜか姐さんは姐さんの身の上話をたくさん聞かせてくれたり、客だから当然だが親切にしてくれた。今度は土曜日にきて、70歳代ばかりの常連さんを紹介するからねということだった。

 

昨夜土曜日2度目の利用。開店20時に行った。姐さん以外誰もいず1番客だった。

姐さんと雑談していると20分ほどして70歳代と思われる女性客が1人入って来た。そこから交代で歌合戦となった。何曲か歌い終わると21時は過ぎていた。姐さんを通じてお互いの簡単な紹介をされる。

 

そうしたらその女性客が自分に離婚理由をど直球で聞いてくる。どうしても聞かせてと頼まれる。話すと、そこから話をさらに広げて細かなことも質問するので答えたら満足そうに黙る。こんなに話したのだから、今度はそちらの話も聞かせてほしいと、女性だが年齢は?、年齢がダメなら干支は?、既婚かバツイチ独身とか?というと全部答えたくない。姐さんが横から昼カラオケ店を水日以外の13~17時やってると店名と一緒に教えてくれる。その女性客が店の場所を説明するので店の名刺もっていたらもらえませんかと聞いたら、プライベートに営業しに来てるみたいになるから名刺は持っていませんと剣もほろろに言われて閉口する。結局自分のことは何も聞かれたくないとつんけんする。

 

22時前には店は満席になった。22時半頃にその女性客は帰っていった。姐さんにもその女性客は名前も年齢も旦那のことも何も言わずカラオケ店のことだけ。自分が姐さんにあの人お高くとまりすぎというと姐さんは今回自分のことをあれだけ聞いておいて女性客は自分から聞かれて答えたくないというのは失礼な人だと姐さんの言い分。世の中老若男女を問わず他人のプライバシーを頼んで聞かせてもらったのにその他人からプライバシーを聞かれたとき答えたくないのなら、始めから他人のプライバシーを聞かなければいい。そんな社会のマナーもわからないなんて何年生きてるのと言いたくなる。

 

「道徳のススメ」をブログに記したことがある。

「他人が自分にした嫌なことは自分は他人に絶対しない」これが行動規範。これに明らかにこの女性客は反している。別に法律違反している訳ではないので、道徳なんてになるけど、そんな勝手な人に言っても「何とかの耳に念仏」かな。

 

ということで昨夜の23時半まで歌いまくって店を出た。そこで何となく寂寥感がした。飲んで歌っていることに侘び寂びがあるのかと考えると、ただただ飲み足りないだけで単なるカラ中の論理だと気づく(笑)

 

朝5時までのお店に24時前にいって4時半まで歌って踊ってではなく、飲んで歌ってとカラ中の深い闇に落ちていった。やはりたまにそばにいてもうやめておきなさいと言ってくれる人が必要なのかもしれないが、姐さんがいうように貧乏人の自分には望めるべくもなく弱気になる。

 

そんなこんなでカラ中の2025年3月は往くことになった。