「常識をわきまえろ!」って若い頃言われたことがある。何か社会のマナーが少しなっていなかったのか、礼儀なのか、言葉遣いなのか記憶が漠然としてハッキリしない。

 

で、30歳代になる頃には価値観とダブるが、常識も価値観と同じで人によって千差万別。他人の常識で自分にわきまえろっていわれてもどんな常識だろうかとなる。常識は一般的知識及びそれに基づいた理解力・判断力・分別のことと辞典などで定義づけられているが、意外と若い頃に常識をわきまえろと言われた時、それを言った人のわきまえろ内容が自分の常識とある程度共通することが多かったから、その後軋轢を生まなかったのかもしれない。

 

「日本の常識は世界の非常識、世界の常識は日本の非常識」と昔よく言われた。日本を自分に、世界を他人に置き換えれば、常識という言葉の曖昧さがよくわかる。日本と世界の関係は刻一刻と変わる世界情勢で不透明なところはあるが、個人レベルに合わせて常識を考えれば常識という言葉の使い方が見えてくると思う。

 

小難しく考えているわけではないが、言葉遊びをしているようで面白い。