物差しは物の長さを測る道具とか人や物事を評価するときの尺度という意味がある。

 

「他人や物事を自分の物差しで推し量るな 」とよく言われるが、結論から言えば、そんなことはできないと思う。

 

自分のものさしって今までの生い立ち、環境や人間関係を通じて感じたこととか経験したことでできあがっていると思う。自分のものさしは言い換えればその人の価値観ともいえる。自分のものさしで測るということは自分の価値観で人や物事を測るということになる。
 

価値観は地球上の人の数だけ存在する。他人の価値観を生み出す他人の人生経験も同じ。もちろん自分は他人の人生を経験することはできない。だから人や物事を測るための自分のものさしは完璧なものでもなく正しいものでもなく、もちろん絶対的なものでもない。でも意識せずに自分のものさしを使って人や物事を測ってしまう。それは仕方のないことだと思う。

 

ただ、そこを自覚してないと相手に自分の価値観を押し付けてしまうことになり、それが相手への無理解や誤解につながる。それは決してしてはならない。

要は自分のものさしというか価値観はもっていて当然で大切だが、それは絶対的に正しいものではないこと、そして他人だって誰でもものさし(価値観)をもっていて自分や何かを測っているということをしっかりと認識しておくことが大事だと思う。

 

少し脱線するが、有名人夫婦が離婚理由の1つに「価値観の違い」をよく述べているが、親子であっても兄弟であっても夫婦であっても価値観の違いがあるのは当たり前。きっと「価値観の違いが大きすぎる」というのを省略しての表現なのかなあと勝手解釈している。

 

「性格の不一致」というのもよく聞くが、性格だって人間の数だけ違うのだから、性格の不一致を離婚理由にしているのは不思議な感じがある。有名人夫婦は何か耳当たりの良い無難な離婚理由によく「価値観の違い」「性格の不一致」を使っているけど本当の理由なのかと意地悪な疑問が湧いてしまう。