どんなところで出会っても少し話に花が咲くと女性に歳の話は要注意だが、お互いの年齢を聞く。年長年少、年上と年下ということで年下は挨拶代わりに礼儀として年上に対して人生の先輩と呼ぶ。30歳代くらいまでは年上年下のことは聞いても人生の先輩なんて話にはならないと思うが。
自分も60歳代なって年下のほうが多くなった。だから年下の人から人生の先輩と呼ばれることがある。もちろん年上の人との出会いもあるが自分は滅多に人生の先輩と呼ばない。仕事上のお付き合いから外交辞令上呼ぶときもあるが、もうそういうこともない。
自分が50歳代前半の時、仕事で一緒になった27歳の男性から面白い話を聞いた。彼は自分のことを犬だと言う。戌年かと聞くと、そうではない、犬は人間の年で言うなら3歳ずつ年を取るから、彼は81(27×3)歳だという?? どういう意味なのか問うと、彼は40,50、60歳代の人より苦労して世間の厳しさがよくわかっている。だからそんな年代よりはるかに逞しく生きていけるという。自分は彼と人生観について議論はしなかった。彼の人生観は彼の生い立ち、境遇によって確立されているものだから。
でも1つだけ、彼に訂正をした。犬を例えにしたことだ。それは少し違う。きっと彼は他の人より1年で3年分生きて色々な苦労や経験をして処世術では誰にも負けないと言いたかったのだと思う。だから彼にこれから他の人にこんな話しをする時はとお節介に添削した。
人は食べないと死ぬ。日本人の主食はコメ。長く生きている人間のほうが若い人よりたくさんのコメを食べている。でも、そのコメ粒をどれだけしっかりと噛んだか、噛んで細かくなったコメ粒をどれだけ体に吸収したかは若い人のほうに軍配が上がる場合もある。このコメ粒が苦労や経験を表す。年長の中にはそして若者にもコメ粒を飲み込んで生きてきているのなら、苦労や経験が少なく人間の深みがない。彼は遥か年長者よりコメ粒をよく噛んで生きてきたと言えばいいと助言した。
昔から「若い時の苦労は買ってでもしろ」という例えもある。でも誰だって売ってでもしたくない苦労もある。
年長者は人生の先輩と呼ばれても彼のような若者がいて、そんな風に年長者をみていることを知っておくべきだと思う。英語に「Experience is the best teacher 」ということわざがある。「経験は最高の先生だ」という意味でコメ粒例え話の英語版だ。
人生の先輩という言葉はほどほどがいい。