社会人としてはとても大事な心の持ちようだと思う。

 

これは職場(ビジネスシーン)において何らかのミス(不手際、落ち度、手違い、不注意、手落ち、間違い、不作為)で第三者(顧客、取引先、上司、同僚など利害関係者)に迷惑(不利益、不快感)をかけた時、そのミスを惹き起こした当事者(個人、グループ)が迷惑をかけた第三者にどんな態度振舞いをするかを注視して当事者の内心に潜む本音を量る指標のこと。

 

要はミスをして誰かに迷惑をかけた時、ミスした当事者がミスして迷惑をかけた人にとる態度、発する言葉はミスした当事者の心の奥底にある考え方にこの指標のどちらなのかで決まるということ。

 

 

当事者がミスを引き起こしたのは事実確認できていたとして

 

他罰、他罰的とは、自分あるいは自分たち以外のせい、他に原因となった者がいて責任はその者、自分あるいは自分たちは悪くない、なぜ自分あるいは自分たちが謝罪する必要があるのかと思う心の動き。

 

自罰、自罰的とは、100%自分あるいは自分たちのせい、弁解の余地なし、例え自分あるいは自分たちの過失部分は10%しかなかっても、謝罪したい、申し訳ない、反省し再発防止に取り組むという心の動き。

 

他罰と自罰は両極端に位置し、当事者の心の動きがその間のどこにあるかで他罰よりか自罰よりかが決まる。そして自明だが、真ん中より他罰よりに当事者の心が位置したら、その当事者はビジネスシーンでは通用しない。社会人として誰からも信頼は得られない。

他罰的とは他人のせいにして悪くないと言い訳ばかりして迷惑をかけた人に不愉快なままにして謝罪もしない。それどころかなぜ謝罪しなければならないのかと逆ギレし上司同僚に食って掛かる。こんな人間はまた同じようなことを繰り返し長続きしない。社会的に淘汰される。

 

自罰的側のどの辺りにいるか自己診断してみてはどうかとおすすめしたい。新たな自身を発見できるかもしれない。ただ、自罰的に近づけば近づくほどその人はなんでも責任を背負いがちになるのでしんどくなる。経営者は他罰的でいるほうが楽だが、常にすべて結果責任だから逃げられず自罰そのものになる。