3~4歳の頃、父が勤めていた会社のスキー1泊旅行に父が自分を連れて行ってくれたのをおぼれげに覚えている。滋賀県函館山スキー場で父息子の二人旅行だった。何せ60年以上も前のことなので、ゲレンデの緩い斜面を何度もソリで滑っていたようないないような。これが生まれて初めて雪というものを認識した時だったと思う。

 

そして十数年後、高校卒業の3月、大学生、短大生のスキーバスツアーで長野県志賀高原へ春スキーに行こうと同級生3人から誘われた。彼らは中学生の頃からスキーをやっていて、そこそこ滑れるようで、自分だけが幼児のとき親とソリで滑った以外、スキー場に行ったこともない素人だから行くのが嫌だと逃げていた。3人から入れ代わり立ち代わり教えるからと懇願され渋々行くことになった。これがスキーとの本当の出会いになる。

 

信州のスキー場に向かうバスは大阪を夜7時出発、翌朝6時現地到着の11時間のバス旅。当時は高速道路は中央道は一部だけで名神と東名しかなかったから一般道を走ることが多かった。バスが現地に着くまで狭い席に座ったままで仮眠する。今で言うエコノミー症候群に幸いならなかったのはどうしてなのかとも思う。費用的に安くスキーに頻繁に行くのはこの手段しかなかった。

 

自分がどうしてもと3人に連れていかれたのは頭数を揃えるためだった。何の頭数かといえば大学生や短大生のお姉さんグループと今で言う合コン的なことをするためだ。お姉さんといっても19~21歳くらい。

初日3人は2時間だけ初心者の自分にスキー靴とスキー板の借りだしに付き合って靴の履き方、靴とスキー板をビンディングで固定する方法、ストックの持ち方、そして平らなゲレンデでスキーの姿勢、簡単な滑り方、ブレーキのかけ方を教える。

3人はやがて自分を放ったりかしにしてお姉さんグループと滑りにいってしまう。1人残された自分は緩いゲレンデ斜面を1m滑ってはバランスを崩して転ぶ、止まれず転ぶ、起き上がろうとして転ぶ、じっと立っていられず転ぶ、で、転ぶことだけが自分のコントロールできることになる。

自分が七転八倒している最中に3人はお姉さんたちと自分の横を滑り抜けてゆく。ええカッコしてお姉さんたちの気をひくように。やがて自分が3人の引き立て役にさせられていることに気づく。

初日夕方ホテルに帰ってきたら、体中痛くて寝ても座ってもいられない。しんどくてフラフラだった。

 

自分はその時はもちろん滑れなかったが、女子大生にモテるためにスキーの上手なところを見せるというより、下手ならスキーが上手くなってスキーの素晴らしさを感じたいと思ったし、3人を一日も早く見返してやろうと思った。スキーでもいいのだが何かに秀でてそれが魅力になって女性に好感をもってもらえることを否定しないが、やはりその背景には好感を支える人間性が大事だと思っている。今の若者に言ったら笑われるような考え方をしていたのかも。

モテない君の負けよしみ理論でもある。自分はまだこの理論を証明できていない。これに関しては人生負け犬かもしれない(笑)

 

スキーはうまくなりたいと思った。悔しかった。そのために大学時代にびわ湖バレイ、鉢伏、神鍋、白馬、志賀高原、野沢温泉、北海道に行った。まあまあうまくなった。学生時代の締めくくりは米カリフォルニア州レイクタホのヘブンリーバレースキー場だった。

自然相手にする他のスポーツと同様、スキーもゲレンデからの眺めが最高だ。一山全部がゲレンデなら、山頂からの眺めは絶景だ。気分爽快になる。

 

今はスノーボードがゲレンデでスキーにとって替わっている。自分はそれしかできないからかスキーのほうが好きだ。

スキーに関しては社会人になってから少々役に立つことが出てくる。またどこかの投稿で記すことにする。