高校時代の2年半、放課後のクラブ活動で剣道に打ち込んだ。剣道は中学時代までしたことがなく、高校入学時に初めて竹刀を握った。まったくのど素人だった。
剣道を始めようと思った動機はめちゃくちゃ不純だ。中学生の頃、森田健作主演の「おれは男だ」というテレビドラマが放映され、その中で主人公は剣道部のキャプテンをやっていた。剣道着を着て砂浜をキャプテンを先頭に部員たちがランニングする姿がカッコよく憧れたことがきっかけ。もう一つは幼いころから野球やサッカーなど球技が好きで当初そちらを選ぼうとしたが、団体競技はしんどい時は他のプレーヤーによりかかったり、負けた時は内心仲間の誰かにせいにしたりして精神的弱さやずるさが出てしまうと真面目に考えた。なら基本的に誰にも頼れない、誰のせいにもできない、勝とうが負けようがすべての結果は自分に跳ね返ってくる個人競技がいい、そして格技なので護身にもなるからと剣道を選択した。柔道は真偽のほどは定かではないが寝技で耳が変形したり、ガリ股になると聞いたので選択肢から外した。
2年生になるまでの1年間道場の床の掃き掃除と雑巾がけ、最初の2ヶ月は来る日も来る日も体操服のまま素振りだけで、1週間も経たないうちに手指や足の裏に水ぶくれができる。剣道着をきて防具をつけるのは3ヶ月目から。1年と2年生の時には夏休みに1週間の強化合宿。公立高校なのに稽古が厳しい。ぜんぜん入部するまで知らなかったのだが、この剣道部は公立高校なのに好成績の歴史を持つ名門だった。府内でベスト4の強豪だった。
剣道の試合は1校5人ずつ出ての団体戦で5人は先鋒、次鋒、中堅、副将、大将と呼ばれる。自分は2年生になった時、監督から大将に指名された。自分が大将だった時、府内最高位ベスト8だった。1期下のメンバーはベスト4だったので肩身が狭かった。1期下の大将は稽古をつけてやって、いつも負かしていたのに自分の得意技の出小手を後輩大将は完コピーしていた。OBが合宿や学校の道場にたまにきて稽古をつけてくるのだが、7段とか師範とか訳の分からないような段位で歯が立たない。コテンパンにやっつけられる。2年半で有段者にもなった。そして受験勉強のため3年生の夏休み前に引退となる。
大学入学当時剣道部を見学に行った。また厳しい練習をしてる。これからさらに3年以上剣道に捧げる気力はなかった。剣道の同好会はなかった。大学時代に高校の剣道部にOBとして2回ほど訪問したのが最後だった。そして剣道はキッパリとやめた。
会社経営をしている時、警察関係の知人から30歳代警察OBの就職を依頼され受け入れた。彼から警察官という特別職や警察組織の実態を聞いたり日々鍛錬している柔道や剣道のことを話した。
剣道の極意の話しをする。面越しに相手の目を見る。逸らしてはダメ。打ち込むところを見たらバレてしまう。息遣いは殺す。息を吸っている時は体が動かないから。なんていっぱしの剣士みたいに話の花が咲いた。
45年以上たって、今はもう面の着け方もわからなくなった。当たり前か。でも、ほうきや傘を持ったら、相手が素人ならやっつけることができると思う。何せ相手の動きがスローモーションに見えるから。