自分は元々他人の悪口や陰口を言わない。信じてくれている人を決して裏切ることはしない。でも、小さな社会の中に一握りまったく自分と正反対の人がいる。どこにでもいるのかもしれないけど、たまたま自分の近くにいた人は程度が酷すぎた。自分をやっつけるために悪口、陰口をたたく。デマを流す。前言を翻す。自分の側にいる人間を寝返らせる。自分の側の人間も取り込まれて自分を裏切る。裏切った人は相手を庇う言動をする。

 

こんな人達は自分に平気で嘘をついて騙す。自分が知らない気づいていないと思って適当に調子を合わす。自分はとんだピエロだ。もう信じられなくなる。疑心暗鬼。極度の人間不信になる。

 

誹謗中傷されても騙されていてもやられている自分が悪いと意見されたこともある。いじめられっ子はいじめられる原因があるからいじめられる。だからいじめられっ子も悪いと言われているみたい。本当にそうだろうか?

 

自分は争いごとが嫌いな平和主義者。でも、歴史の授業で「目には目を歯には歯を」を思い出し、悪意に満ちた奴らにもうやり返すしかないと決心する。

戦う以上は自分の持てる知識、知恵、経験を総動員して最終的に勝算120%の計画を立て実行する。完膚なきまでに相手を潰して相手の息の根をとめる。

正規戦、ゲリラ戦、情報戦、調伏(謀略)、生きるか死ぬか、言い換えれば、相手を孤立させて誰も寄りつかせず話し相手をなくすこと。あわよくば相手自らがマンションを出ていかざるを得ないように仕向ける。

 

結果、自分が和歌山のマンションを引き払ったとき、目標値にたいして70%くらいだった。その後も裏切り者がいたことを知る。自分の生き方まで曲げて戦ったものの残ったものは不満足な状況とそんな状況にした裏切り者の新たな出現だった。

そして何よりそんなことばかりに明け暮れて、自分の性格が醜いものになったことだ。

 

自分はこの最低最悪の相手が憎い。裏切り者も全員憎い。なかなか忘れられないが、自分の感情にそろそろケリをつけてやりたい。たった2年で地に落ちた自分の性格をもう一度のほほんとしたお人好しの性格にもどしたい。