60年以上生きてきて、こんなことは起きないと思っていた。
酷い誹謗中傷を受け同じマンションの住人を訴えたことだ。なぜ自分に対して誹謗中傷するのか未だにわからないままだ。
30歳代半ばから40歳代初めまで訴訟に明け暮れた経験が役に立った。訴訟沙汰は百戦錬磨だ。相手をやっつけることは赤子の手をひねるようなものだ。
訴える気になったのは本当にあまりにも酷かったからで、放っておいたら悪者たちは彼らの主張が正しいと勘違いし、さらにエスカレートする可能性大だったから。今回訴訟に至るまで散々我慢して最後堪忍袋の緒が切れた。
結果は当然完全勝訴となった。相手の顔なんて二度と見たくもないのにその後も同じマンションに住み、時折顔を合わせることがあった。訴訟上原告である自分と相手方である被告は訴訟で決着したら二度と顔を合わせたくないものだ。相手方は顔を合わせても謝罪も挨拶もしないどころか無視をするのだから。
殴ったほう(被告)はすぐに忘れても殴られたほう(原告)は一生忘れない。被告から受けた心の傷は決して消えない。
決着しても一緒に住んでいるマンションで陰で足を引っ張ることを懲りずにやっている。もう狂っているとしか思えない。
親しくしてくれている人達に話しても気にし過ぎ、神経質に過ぎると言われ、周囲の人達は直接嫌がらせを受けていないので、無理もないのだが他人事になる。結局誰にもわかってもらえず黙ってしまう。きっと誰でも当事者(被害者)になれば、この辛さをわかるのかなとも思う。
マンションのある従業員は別の住人から住人たちの管理費から給与をもらっているのだから言うことを聞けと暴言を吐かれ、すぐに辞めると言って息巻いていたが、自分や他の住人が慰留して思いとどまった。後日自分が訴訟相手になった住人の話をして、訴訟資料をみせたのにその住人の相談相手になり、マンションの情報も漏らし、どうやら勤務時間中に訴訟相手の住人に便宜を図っていた。いくら技能に優れた従業員でもやっていいことと悪いことがある。何かはき違えている。自分から言わせれば裏切られた思いだ。信義に背いた行動は許せない。個人的には辞めてほしい。
個人的なお付き合い(交流)は自由というのは当然だが、人間関係というのはそんな綺麗事ではなく複雑だ。この従業員は嘘・偽りなく旗幟(旗色)を鮮明にしなければならない。
誰でも自分は関係ないのだからまきこまれたくない。そんな煩わしいことに時間を取られたくないというのが本音であり、人情だと思う。今回の自分に降りかかった被害は自分が細部にまで自分なりに一生懸命やりすぎたのが原因なのかもしれないと思う。
いい加減な性格に戻れないかもしれないけど、のんびり穏やかに心許せる人達と親交を深めたいと思う。