自分のことは自分しかわからない。自分は自分を生きているのだから当然。心の中は誰も知る由もない。自分すら毎日の生き方に迷うのだから。
人格・気性は自分の生い立ち、境遇、環境が大きな要因となって20歳頃までに形成される。それからも人生経験が影響を及ぼす。
人は変われる、変わらなければ他人は自分に対する見方を変えてくれない、変われば自分自身も気持ちが楽になると言う。
でもそんなに簡単に人は変われるだろうか?簡単でなくても努力して変われるのなら誰も人生に苦労しないと思う。人は歳を重ねれば重ねるほど、わがまま頑固になっていく。
でも、よくよく振り返ってみれば20歳頃までは明朗・おおらか・大雑把・誠実だった性格が20歳代から40歳代半ばまでの約25年間に置かれた立場環境で多少なりでも変われるはずがないと思っていた気性が変わってしまった。
父の隠し子騒動、後継経営者として入った父の会社の倒産、父の逮捕(不起訴)、民事訴訟や調停、自分の債務整理、新たな会社の創業などなど明るさ・誠実さは残ったものの、ほがらかさやおおらかさがなくなり心配性に、大雑把が几帳面さに変質し、とんでもない経験が自分の性格を強制的に変えてしまった。
誰もが言うか言わないだけで筆舌に尽くし難い生い立ち、体験があると思うし、自分の人生はまだはるかにマシなほうだと思っている。自分にとって特に30歳代の約10年間は性格が変わってしまうほどの大変な失敗体験だったが、得難い知恵となり貴重な人生経験になった。
人生大きな失敗なんて無いに越したことはないが、それなりに修羅場を通り抜けているので、人生順風満帆やってきた人たちに比べ自分は逆境に強く打たれ強いと思う。災難をすり抜けて生き抜いていく術を多少なりとも持っているとも思う。腕っぷしにものを言わせた喧嘩は弱いので、すぐに逃げるが、大人の喧嘩なら絶対に負けない自信がある。負けそうな喧嘩なら勝てる時機を見定める。
新しく出会いがあった人達とはまず信じて誠実にお付き合いを始めるように努めている。出会いがあった人達が自分をどんな人間か観察するのと同様、自分もそんな人達を評価する。お互い当たり前のこと。
嘘・偽りを言う人、言い訳をする人、責任逃れをする人、謝罪感謝の言葉を素直に言えない人、態度振舞い口調がなってない人、社会のルールを守れない人など時間が経てば本性が見えてくる。
自分はそんな人と個人的なお付き合いはまっぴらである。公的な立場にもよるが、何度か相談助言注意した上でハッキリとダメ出しする。
ダメな人たちは後ろめたさがあるので、時間の経過とともに彼らから離れていく。連絡も相談もなくなる。自分からは腹が立って愛想が尽きていても手を離すことはしないが...
己を知るということは人生を歩んでいくことにおいて本当に大切なことだと思う。