76歳になったある日、朝食で咳ごんで咳が止まらなくなった父はクリニックに行った。紹介状を書くから、直ぐに近くの総合病院に緊急入院しなさいと言われ、病院に向かう。

 

その途中、自分の携帯に父は母が運転する車の中から元気な声で入院すると知らせてきた。元気な声で話しができたのはこれが最後だった。

 

翌日自分も病院に向かった。妹もやってきた。母とともに3人で主治医から父の容態の説明を受けた。病名は誤嚥性肺炎。原因は食事で食べかすが肺に入って、それらに菌が付着して繁殖し炎症を起こしている。食べかすを吸い出す術がなく、容態は日に日に悪化し大変厳しくなるという。

 

父を見舞ったが、ベッドに横たわり、元気ないどころかしんどそうで、安静にしろとしかいいようがなかった。妾とその子(腹違いの弟)に連絡して会わそうと考えたが、母と妹が交代で看護していたので、止めにした。自分は男だからか血が繋がっているからか弟にはあまり嫌悪感がなかった。だが、妾は憎かった。

 

数日後、父は心臓手術以降、飲み続けているワンファリンという血をサラサラにする薬のせいで、もろくなっていた脳血管から出血し、意識不明になった。致命傷だった。主治医によれば、もって48時間と宣告される。呼吸を司る領野がやられ、酸素飽和度が下がり出し0となり、その後血圧が下がり出し0となり、最期になるとのことだった。

 

父は入院からちょうど1週間後の午後2時過ぎに逝った。母、妹家族、自分家族に看取られて逝った。享年78歳だった。妾とその子を呼ぶことはできなかった。知らせることすらできなかった。

 

その頃、自分はうつ病を発症して間無しだったので、判断力、思考力、集中力が落ちていた。家族に何事も任せきりになっていた。

 

最終話は次のブログに譲る。