アメリカ旅行の期間は2月初めの卒論提出期限直後から3月末までの2ヶ月足らずとなった。卒業式には出ていない。

サンフランシスコ郊外での生活にも慣れてきた。

ここを拠点にさらに内陸部のスキー旅行を計画した。近所のレンタカー屋で小型乗用車を借りた。

まず近所の住宅街で車の試運転と練習をした。米国に行く前から聞いていたのだが、当時縦列駐車した時、停める時も出す時も、前後の車のバンパーに当てるくらいは許された時代だった。

自分も試してみた。誰もとがめる者はいなかった。カルチャーショックだった。なぜか米国のおおらかさを感じ嬉しかった。

スキー旅行の計画を実行に移す時がやってきた。目的地は米国本土北西部カリフォルニア州とネバダ州の州境にあるレイクタホ(Tahoe)が一望できるヘブンリーバレースキー場だった。

フリーウェイを抜けて都市部を出ると、見渡す限り地平線となる。国土国力の差を痛感させられる。

道中お腹が空いてきたので、通りがかりのピザレストランに入り昼食をとる。無難なつもりでMサイズを注文すると、特大サイズのピザが出てきた。食べきれなかった。

物量においても体格においても明らかな差を感じ、過去に不幸な戦争を起こし、敗戦したのも当然だと思った。

地平線景色が終わりを告げ、山間部に入ってくると、日本語でいうチェーン規制の電光掲示が出ていた。
「chain required(チェーンが必要)」ということだった。

最寄りのガソリンスタンドでチェーンを装着してもらった。

ほどなくスキー場のゲレンデ近くに着いた。出発して4時間半が過ぎていた。ドライブインを探し、宿泊先を決め、スキー道具一式を借りに行った。

雪質が北海道のスキー場よりずっとよくパウダースノーだった。下手くその自分でも本当に滑りやすかった。

スキーヤー同士ぶつかって倒れても、
You're all right?(大丈夫?)
と尋ねてお互いの無事を確認する。とても親切な礼儀だと感心させられた。


以降の話は次のブログに譲る。