自分が高校3年生の時には父はほとんど自宅には帰ってこなくなっていた。

母は来る日も来る日も悲嘆にくれていた。幼い自分には母にかける言葉は何一つ見つからなかった。
自分の家庭はもう壊れていた。

高校3年生も終わりに近づいた3月初めの朝、国立大受験で出かける準備をしていた時に朝帰りした父と出くわした。

父は自分に「どこに行くのか?」と聞いてきた。息子の自分のことなど眼中にまったくなく、無性に腹が立った。その日一日中興奮が収まらなかった。

結果は当然不合格で滑り止めの私立大に行った。入学金、4年間の授業料は母がなけなしの貯金から出してくれた。自分は4年間できるだけアルバイトした。

自分が二十歳の頃、父の妾は男の子を生んだ。

その1年半後、父はとんでもないことを引き起こした。妾と喧嘩してその子を本宅に連れてきて、母にその子を育て、自分には弟として可愛がれという。

母は狂ったように泣き叫び、自分は絶対無理と拒絶し、妹は友人宅を渡り歩き帰ってこなくなった。

父は仕方なく、その1歳半の子を妾宅に連れて帰った。

時を同じくして自分の就職活動が始まっていた。そんな父から父の会社に来てほしいと依頼される。父の会社の従業員と会社の将来をどうするのかで随分悩んだ。

最終的には自己責任、自己判断で父の会社に就職することを決め、就職活動は後輩に迷惑をかけないよう一切しなかった。バイトに執念を燃やした。

以降の話は次のブログに譲る。