父の年齢は60歳直前だった。
釈放された父は髪の毛と髭が伸び放題に伸び、仙人のような風体になっていた。勾留されていた22日間は散髪してもらえないのはもちろんのことハサミやカミソリは持込使用禁止であったから当然のことだった。心なしか少し瘦せているように見えた。
父はまず散髪屋に行きたがったので、警察署の近所の散髪屋に連れて行った。サッパリとした姿になって出てきた父の顔を見ると、青ざめた血色の悪い感じがしたので、60歳まで病気一つしなかった父にクリニックで診てもらうよう促した。数日後、受診したら案の定狭心症と診断された。
22日間取り調べが如何にキツイものかある程度の想像がついた。そう刑事ドラマのそれであるように。聞いても父はあまり話したがらなかった。よほど屈辱的なものだったに違いない。それが父の健康も蝕んだ。
その後、父と食事に行った。そこで勾留されている間の父と会社を取り巻く状況とその変化を詳しく話した。たった20日間余りで社会的信用が完全に失墜しているのに、父はこれから従業員の対応、会社の再建に取り組むという。
さしずめ今夜の寝泊まりするところを聞く。父の自宅はすでに債権者に差し押さえられている。するとお世話になった弁護士さんたちにお礼に伺った後、妾とその子の家で当分の間暮らすという。家をなくした母のことは放ったらかしにしたままで。弁護料を出したのは母と自分なのに。
父と訣別する時がやってきた。
自分は自分の家族と自分を守らなければならない。そして母のことも気にかけながら。
まずは生活の糧を得るため、仕事を探した。従業員でなくバイトで生活が最低限成り立つ職を探した。
幸い自分が会社を経営した時、父の代から下請け会社をしていた社長さんが下積みから叩き上げた自分の仕事ぶりを知っていてくれていたため、その腕を買ってバイトドライバーとして雇い入れてくれた。一旦辞めることがあっても実質的に再雇用する融通もきかしてくれる条件で。軽四から4トントラックまで乗った。
バイトには訳がある。
自分には25億円の個人保証債務がある。これがある限り自分名義の不動産、動産の資産はすべて差し押さえられる。
不動産は自分の家の土地と建物、これは法務局に登記されているから、いずれ債権者に差し押さえられ、競売にかけられた上で、落札者に立ち退きを要請されれば、出ていかなくてはならない。
動産は預貯金、預金型保険、敷金、自動車、家財道具、給料、従業員で退職金がある場合その退職金など。債権者は差し押さえすることができる。
現在、改正破産法が運用されているので、当時とは違いが多々あると思うが。
債務整理に親身になってくれる弁護士を探す。高校時代の10期上の先輩が心配してくれて、先輩の同期の弁護士さんを紹介してもらった。弁護内容の詳細は言えないが、親身に弁護してくれた。債務整理の大方針は自己破産するしかないとのことだった。
以降の話は次のブログに譲る。