父とは弁護士以外は接見禁止だった。検閲されるが、手紙を差し入れと一緒にして家族のことは心配するなと伝言した、

自分の経営者生命は会社倒産と共に終わりを告げた。

信頼関係を築いた従業員とその家族、得意先、取引先など謝罪してもし切れない事態となってしまった。

自分の甘さがこんな大事件を引き起こしたのかもと思うと、自責の念、情けなさ、悔し涙がこみ上げ、泣けてきた。

会社は法的処理でしか解決の方法はなかった。自分自身も同様だった。負債額は約30億円、抵当に入っている不動産価値はバブル崩壊で5億円、残りの25億円は会長の父と前社長の自分が個人保証債務として負うことになった。

まさに会社の破産手続きに入ろうと考えていた時、父の弁護士から父が勾留22日目に検事が起訴猶予で釈放することになった。ついては身元引受人としてガラ受けに警察へ行ってほしいと。

懲役の実刑を食らう寸前で弁護士さんたちのおかげで幸いにも父は助かった。
父の社会的信用は灰塵に帰した。22日間の浦島太郎状態の間に。

そこに父は警察から出てきた。

以降の話は次のブログに譲る。