ゴールデンウィークは、27日から29日、5月4日から6日までが休みで、明日から4日間はまた研修である。初めの3連休は、もう散々だった。

日曜日は、彼氏の実家で、彼の家族とバーベキューだった。私は人見知りであるし、ましてや彼の家族なんて、できるならお会いしたくない。怖すぎる。しかし彼は会って欲しいみたいだったので、私は勇気を出したのだ。だが。
結局全然話せることはなかった。彼の姉氏の子どもちゃんとは仲良くなったものの。
バーベキューが終わったあと、彼は私に言った。

「もうちょっと積極的に話して欲しかった」

あああああん?そもそも私は行きたいなんて言ってないし、むしろそういうの苦手だって伝えてたはずなんだが?一緒にいるから、大丈夫って言ったのテメェだろ?ほったらかしといたくせに!あげくそんなこと言うの?私は涙目ブチ切れでした。

ミスドで買ったたっけぇタピオカを半分も残して、「帰る」と言って席を立ちました。追いかけてきた彼に、押して歩いてた自転車を押し付けて(彼もチャリンコ押してたのに)、早足で泣きながら、我が家に帰ってきたのです。声を上げて泣きました。もう最悪だった。私も。


そんな次の日の今日は、上司と2人でごはんの回。緊張するし、話すことも無いしで不安でした。楽しかったけど、帰りに言われたことが衝撃だった。

「LINEの画像、もうちょっと考えた方がいいね」


私のLINEの背景の画像は、道で死んでたザリガニだ。みて不愉快な気持ちになる人もいるかもしれないって、相手のことを考えなきゃダメだよって。

びっくりだった。社会人ってそんなところまで気にしてるの?確かにみて気持ちよくなる写真ではないだろうけども。私は良いと思ってこれにして、これを褒めてくれた友人もいるのに。
悲しかった。一気に気分は真っ逆さまで、もう会いたくないなと思った。ごはんの回は月一であるらしい。頭が痛い。
ごはんはハンバーグを食べた。とてもおいしかったけど、私はよっぽど口に手を突っ込んで、吐いてやろうかと思った。こんなものが自分の体に栄養として行き渡るのかと考えると、気持ち悪くなった。

上司が言うことも分かる。反抗する必要も、本当はきっとない。でも!なんかやだ!と反抗してしまうのが私の良くないところだろう。か?

すぐに、
この写真で不愉快になる、ということはどういう事なのか考えた?」とか
「じゃあ私はあなたの写真で不愉快な気持ちになるんですけど?」とか
しょーもない詭弁を言いたくなってしまう。
つくづくクソガキである。アーティスティックなのだ私は!……。

なんていうけど、本当に悩む。どうやって過ごすのがいいんだろう?誰にとっていいの?
ビジネスマナーは、相手のことを思いやり続けることだ、とかなんとか教わった。私のあの写真は、誰のことも思いやっていないのだろう。
しかし、あんな写真程度で!思いやりも何も無いだろ!と思う。
素直に言うことを聞けば済む話なのにね。

ああめんどくさい、やっかいだな。
もーいいよ、死ぬからさ、はいはい。
という気持ちになる。

また死ぬとか言って、そういう言葉をきいたら誰かが不愉快になるだろうって、自分でも分かってる。誰かのことを思いやって、吐きたい言葉を吐けずにいるのって、素敵なことかな?やさしいことかな?私にはもう分かんないよ。
私にはもう分からない。

めんどくさいと思ってしまう。何もかも。
久しぶりに、死にたくなった。
だけどハンバーグは、結局吐けずじまいだった。



生きてていいのかな、と考える。謙遜でも、かまってちゃんでも、なんでもなくて。純粋な考え事。人のことを傷つけるような私なんて、害なのでは?目標もないし、なりたい自分もないし、したいこともないし、それを探す気もないし、やる気もないなら、もしかして、早く死んだほうがいい?生まれてこなきゃ良かったなんて、思ったことある人は少ないの?人生に意味をつけて、自分の存在価値を見出して、懸命に生きてキラキラしてるあの人たち、いいなぁ!いいなぁ!
私はなれないんだもの。決めつけでもあきらめでもなく。
吐き気。


本当は、これからも生きなければならない理由なんて、どこにもないのにね。好きなように生きて、好きなように死ねる世界なら、どんなに良かったのだろう。私は今、生きるのが怖い。

山田悠介の小説で、スイッチを押せば心臓が止まるって話があった。私はそれがうらやましくて、うらやましくて。

暗いとか、ネガティブとか、病んでるとか、私みたいなのを形容する言葉はたくさんあるけど。
どれもピッタリじゃないよね。人を語るのに言葉なんて本当は使えないよね。
ああ、怖いなあ、怖いなあ!
生きるのが怖い。

生きるのが怖いな。