嫌いなものとの距離のとり方を考える。


たとえば、ファーストフードが嫌い。

理由は、油っぽいから、食材の安全性を疑うから、野菜が少ないから、健康に悪いから など。


食べられないわけではないが、選ばない。

よって普段はあまり立ち寄らない。


お金が無いとき、100円マックはありがたい。

時間が無いとき、つい利用してしまう。

よっぽどでないとポテトは選ばないが、スイーツだと許される。


こうやって見ると、嫌いなものの捉え方は抽象的。イメージが先行している。

具体的に何が?まで見ようとしない。


油か、食材か、自分の健康状態か


不安要素の特定をしていない。

情報収集も不足している。


反省すべきはそこかもしれない。

「あなたのココが嫌い」


そういう風に言えたら、否定も拒否ではなくなるかも。



デブが嫌い。

なぜなら、怠惰だし、不潔だし、不健康だし、脂ぎってるから。


筋肉太りや、お相撲さん、ハワイアンはどうなんだ。

普通に接しているし、デブと責めることもない。

優しさを失わないように、表現を変える


主張すべきは「私は健康的でありたい」なんだ



論点をはっきりさせる。


視覚化、言語化、どんな形でも伝えること。


そうすれば、「好き嫌い」の問題ではなくなる。

「ココ」は受容できない、なぜなら「健康面」で私のキャパを超えるから。


そういう風に一般的な理解を求められる。


自分や他人を追い詰めない物事の追求の仕方を

しっかりと学んで説明しなければと思う。



”How do you protect yourself?”


の答えは、イメージから逃げないこと。

嫌いな味や色や触感をイメージさせるメッセージを受けたとしても

無視できない、拒否できない関係と認めたならば。


徹底的に向き合って、相手を理解できたとき

またはそのタイミングを待っていられるとき


人への興味や情熱に自信が持てるんじゃないだろうか?



批判、非難に傷つかず、怒りを溜めず、というのは

その人の真の気持ちを理解することに始まるのではないか


「分かってあげたい」という姿勢を見せる

諦めないで理解を示す


その2つに尽きるのではないか



怠惰であること、不健全であること、攻撃的であることを嫌うなら

身の回りにそれを寄せ付けない自浄能力を高めよう


その人のきれいな心に触れるんだ

共感するんだ