診察の時は構わないのに

カウンセリングの時は

先生のリアクションが

あれえ…何でだろう?

って気になる。

先生は

あたしの話を聴いてくれる人

って

あたしはどこかで

そう思っている。

それって

期待してるってことなのかな。

これじゃまるで

先生があたしの話

聴いてくれてないみたいじゃないか。

そんなことない

聴いてくれてる。

カウンセリングの間は

先生が話す余地がほとんどないくらい

あたしは喋ってる。

聴いてない相手に

あたしは話さない。

これはうそ、話してるわ。

だとしたら

あたしが話した時の

先生のリアクションに

あたしは

あ、聴いてくれない

って感じちゃうわけだ。

きっと

そこ、笑うなんて

そこ、誤解するなんて

って感じなんだ。

あたしがカウンセリングの先生に抱く

あ、聴いてくれてない



聴いてくれるって期待からじゃなくて

ココロのどこかで

あたしが期待しているリアクションを

先生に期待しているから

あたしの期待しているリアクションじゃなかったり

あたしの期待しているリアクション

未満のリアクションだと
(未満、が相応しいかはわからないけど)

わかってくれない

って思ってしまうんだ。

じゃあわかってくれたらいいのか

と思うと

それも何だか少し違和感がある。

主治医の先生に対しては

全然わかってもらえた感はないんだけど

むしろわかってなくても

『わかってるって!』と笑い飛ばしてくれると

あたしの気分は

わかってないくせに~も~(*^_^*)

って、うふふと笑けてくる。

わかって欲しいとは思っているし

わかってもらえたと思うと嬉しい。

ただ

わかってくれ…なくてもいいわけだ。

わかってくれる、のが

あたしの目的ではないらしい。

あたしが話したことを

先生がわかってくれる

っていう関係性

…カウンセリングはあたしにとって

その関係性があればいいのではないみたい。

あたしをわかってくれて

期待するリアクションをしてくれたとしたら

きっとあたしは

あたしに合わせたリアクションをしてくれたのでは

…と

あたしは先生を疑ってしまうかもしれないし

あたしにとって

それは

不安が募っていって

有効ではないかもしれない。

一旦このことから離れて

逆から思い出してみると

あぁ…って

うまく表現できないけど

あぁ…先生…ありがと…

って思う時があって

そう思うのは

そう思う前に起きる現象というか

そう思う前にあたしの中で

ある感覚があった時。

その感覚があって

あぁ…先生…ありがと…

"そうだったんだね"

っていう

なんだろう?

味わえてよかったあって感覚。

その感覚に

あたしは

話してよかった

話せてよかった

何かがふっと軽くなったような気がして

それは

単に先生が

"あたしに寄り添ってくれた"とか

"あたしをわかってくれた"とか

"あたしの立場になってくれた"とか

"あたしに親身になってくれた"とか

そういうことでもあるんだけど

そんな上っ面なことじゃない。

先生が

あたしと一緒に

あたしの感覚を

"感じて"くれた時なんだ…

一緒に感じてくれた

一緒に…共に…

ってそれ

"共感"だね。








ぺかッキラキラ

なんだか

あたしが好きな"にじ"って歌みたい

♪雲が流れて

 光がさして

 見上げてみれば

 ラララ

 にじが にじが

 空に掛かって

 君の 君の

 気分も晴れて

 きっとあしたは

 いい天気

 きっとあしたは

 いい天気 ♪





そっか。

あたしがカウンセリングの先生に求めてるのは

これだったのね。

あたしがカウンセリングで満たされない理由も

これね。

あーまだまだこれからだけど

半分すっきりした気分だ。

半分すっきりした気分だけど

まだまだこれからだ。

だってね

思い出したのって

辞めちゃった

前のカウンセリングの先生とのことだもの。








でも

明後日のカウンセリングが

よいものにできそうな

そんな気がしてる

今のあたし。