カウンセリングの先生に対してだけなら

淡々と色々なことを話せるけど

主治医の先生には言いたくないとか

知られたくないと思うこともある。

それをカウンセリングの時に話して

「主治医の先生には内緒にしてくれますか?
知られたくないの」

って言うんだけど

『必要なことはカルテに書きます』

って言われるから

ああ、話したい、相談したい

って思っても

うーん…待てよ

話しちゃってから

「これはカルテに書く?」

『必要なことなので書きます』

ってなるかもしれないし

…って迷う。とっても迷う。

迷うから考える。

主治医の先生にバレてでも相談したいことかを。

よくよく考えてからにしよう

だから今は

やめておこう

って

話したいことを

話せる相手に

話さなくなる。

カルテに何を書くのかも

カルテに何が書かれてるのかも

『教えられません』

て言われるから

不安になる。

先生は明確にしてるだけだというに

あたし自身の捉え方で

拒まれているような気もしてしまう。

主治医の先生は

カルテの内容をぺらぺら教えてくれるけど

『ちょっとーカルテにこう書いてあるよ。ったく』

ってお説教も喰らってしまう。

そうすると

カウンセリングの先生、あのこと書いたなー、もう

って

ちょっと悲しくて

ちょっといらっとして

ああ、カウンセリングで言うんじゃなかった

なんだか告げ口された気分

って思ったりもする。

お手紙も書いていいことにはなってるけど

*手紙は持ち帰らない(カルテに綴じる)

*次のカウンセリングの日の朝か昼に読む

っていう条件付きなので

もう余程のことがない限り書くことはない。

主治医の先生には見られたくないのだ。

次のカウンセリングで話したいことを

箇条書きにしてもいいなとも思ったけど

いいや、わざわざ事前に書いて渡す必要はないよ

って思うから書いてない。

カウンセリングの先生が

悪いことしてるわけじゃない。

そういう説明をしてくれているわけだから

むしろ親切なはずだ。

先生の信念で

あたしにはそうした方がいい

って考えかもしれないし

…ただ

あたしのココロが開かない。

主治医の先生に知られたって

先生は恐ろしい顔はしないし

ちょっと怒られるだけ。

気にならずにやってきたはずだ。

主治医の先生に知られてもいいや



そんなことは浮かびもしなくて

とにかくカウンセリングで先生に話したい

聴いてもらいたい



あったはずだ。

知られたところで医師とカウンセラーの2人だけ。

その他、外部には漏れない。

漏らすとしたら

あたし自身くらいだ。

でも今は

先生に知られたくない、の拘りが捨てられない。

あたしの

この人には知られたくないって気持ちも

大切にしたい。

あたしが迷えばいいだけなのに

知られないように、聴いてくれたらな

って思ってしまう。

こんなに気になったのは

カウンセリングのはじめに

先生があたしの目の前で

『えー…と』

前回の診察の内容を確認したり

話している途中で過去の内容を確認したり

何度も先生がカルテをぺらぺらめくって

まじまじと読んで

薬の内容や量にまで触れて

あたしにとって

カウンセリング中のカルテの存在感が

すごく大きくなってしまったから。

カルテだから見たって全然構わないものなんだけど

あたしはそのことに

何となくで説明はできないけど

抵抗があったり

違和感を感じたり

ちょっと悲しくて

ちょっといらっとしてしまうから

何とも言えない気持ちになる。

主治医の先生に知られたくない、は

お父さんには知られたくない

みたいな感覚も

あたしの気持ちは無視で全否定で怒られるからイヤ

って気持ちもあるから

カウンセリングでも話さない

ってこともあるかもしれないし

カウンセリングの先生が

あたしの気持ちよりも"必要なこと"を重視して

『必要なことは書きます』と言われることで

いくらあたし本人の望みでも

カルテに書かないと約束することはできません

っていう姿勢そのものが

あたしは好きではないのかもしれなくて

好きではないのは

その姿勢が嫌いだからかもしれないし

あたしを尊重してもらえない悲しさかもしれないし

あたしの望みを拒否された腹立たしさかもしれない

そうなると

主治医の先生に知られること以上に

カウンセラーの先生に話すことへの

抵抗や反抗心

わかってもらえないや噛み合わない

苛立ちと悲しさの方がつらいのかもしれない。

でも

ちょうどよかった。

引っ掛かることは

このタイミングで

話そうと思ってるから。

なんだろう

不思議。

言いたくない、知られたくないからって

ココロを開いていないわけじゃない。

逆に

思ってることを打ち明けることができるからって

ココロを開いているわけじゃない

…ってこともあるのね

って発見したりして。

先生も

あたしの戸惑いや納得してないこと

感じていると思うし

カウンセリングは生き物でなまものだから

話しているうちに

一緒に"どうしたもんじゃろのう"と言ってるうちに

また新たなことに気づいたり

何か閃いたりして

心持ちに変化があらわれるかもしれないし

先生とあたしの間に

おっ!ってな風が

ふんわり吹き抜ける瞬間もあるかもしれない。

アタマがとても疲れて

1日横になっていた。

それでも

丁寧な作業が必要なのだから

致し方あるまい。