お姉ちゃんずの中学校より配布された

「生徒の心得」なる1枚のお知らせ

1つ1つ

丁寧に読んでみると

わかりにくい心得があります。

生徒手帳に書かれている校則と

生徒の心得と

担任の先生と

よそのクラスの担任の先生と

教科担当の先生と

内容や説明が少しずつずれていて

何がOKで何がNGなのか

はっきりしてるようで

実は曖昧だったりします。

校則や心得のような文字化されていて

視覚としてわかりやすいものでも曖昧なのに

いろんな先生のいろんな口頭での説明や

指示が一貫してない場合

困るのは誰かといえば

真っ先にお姉ちゃんずです。

口頭の指示の方が顔を見て直接なので

思い込みも強くなります。

いくら母さんが書いて説明したって

学校からの配布された紙に印字されてたって

○○先生が「こう」言ってた、となれば

「こう」だけが決まりなのだ、と

思い込んでしまうのです。

そこに聞き違い、思い違いが生じていても

思い込んだら「こう」なのです。

音声だろうが文字だろうが

「校則を守る」には

そこに一貫性が必要なのです。

厳しいなあと思う校則もあれば

あんなに厳しいのになぜこれは自由なんだ?

というような不思議なものまでありますが

守るべき規則があるのなら

中身に「こんなこと必要?」と

思うか思わないかではなくて

全体が「共通」でなくては

「規則を(安心して)守る」に繋がりません。

お姉ちゃんずには

規則を「破る」気持ちは毛頭ありません。

守っているのに「違反した」と思い込んで

心を痛める必要はないと思うだけ

守っているのに「それは違います」と指導されて

心を痛める必要はないと思うだけのことです。

先生同士、学校内に共通理解がないことと

「社会に出たらこんなもんじゃない」ことは

違います。

何のために規則を守るのかを学ぶには

大人もその規則に向き合い

ずれや矛盾は出来る限り修正し明確にし

わかるように伝えていかないとなー

私もその大人の1人なんだよなー

大事な三年間なんだなー

って思うと

うかうかしてらんない。

大人の矛盾に容赦なくぐいぐい来るから

勝ち負けじゃないけど

あたし負けてらんない。

…それだけ「社会」とは矛盾だらけなのかもね。




うまくできてるようで

「ことば」はむつかしい。