人は皆、物語には感動的な最後を期待する。
期待することは悪いことではない。
でも、もっと重要なのは、物語の過程である。
最後、思っていた結果と違っていたっていいじゃない。
大切なのは、結果だけじゃない。
物語を作る過程で、
何を学んで、何を感じて、何にくじけて、何に泣いて、何に笑ったか。
そして何にときめいたか。
物語のエンディング、思ってた感動と違っていても、
学んだことに変わりはない。
感じたことに変わりはない。
くじけて、それでも立ち上がったことを忘れないでいたい。
その時の、その一つ一つの感情が、
大きなエンディングよりも、ずっと大切で、
その小さな感動の積み重ねがあってからこそ、
最後に笑える。
先生に一緒に怒られた思い出も、
ひらめいて、実行して、はらはらして、どきどきして、
やっぱり怒られて、
後に笑い話になる。
怒られることを避けて、何もしないこと。
これほどつまらないものはない。
自分がしたいその衝動を、ひらめきを、
つぶしてしまうことは自分の可能性、
そういうものをつぶしてしまうことだと思う。
感動は、ひらめきと実行した瞬間のわくわくするような高揚感、
何年前でも、何百回でも大笑いさせてくれる小さな思い出には勝てない。
過去の失談ほど面白いものはない。