以前わたしは



大阪にある

甲田医院に

通っていたことがあった。



先生とのご縁は

日本綜合医学会の講演会で


先生がわたしの大好きな

おじいちゃんにそっくりで

親近感を覚えたからだ。




先生は若い頃に

断食で失敗していて

何度も自分を責めていた。



そこから抜けるには

慈悲の祈りしかないと

著者には書かれている。




わたしは

お祈りって

よくわからない。



そんなことをして

何になるのか???



祈って救われるなら

とっくに救われてるわ!!!



そう言って

先生の【祈りなさい】という言葉を

右から左に流していた。






最後は祈りしかない






祈りって何だろ?


怪しい。


それでお腹いっぱいになんてならない。


お金だって降ってこないよね?


神社で手を合わせるのだって

みんながやるから

手を合わせてるだけ。




目に見えるものしか

信じない。


信じられない。








でもさ

ふと思ったんだけど。










もしも



お野菜が

意思を持っていたら?



もしも


動物たちが

話しかけてきたら?




私たちは

それを安易に


口にできるのかな?




植物達が摘み取られる時に

泣いたり叫んだりしたなら

どうなんだろう?




家族とか居て

お母さんが食べられたり

子供が殺されたり



そんな

心とか見えたりしたら



お腹すいたから

ストレス溜まったから

とか



食べ放題とか

食品廃棄とか

食べ残しとか



できるのかな?













甲田先生の話していた

祈りっていうのは



こういうことなのかなぁ?






生きとし生けるもの

すべては命



命のバトンのリレー



植物達も

動物達も



殺されても

恨めしやーなんて言わない。



私たち人間に

惜しげもなく命を差し出す。



考えてみたら

ものすごい愛だと思う。



わたしが動植物なら

ふざけんな!!ってなりそう。




でも

彼らは




私たちの命をあなたに任せたわ。

この命を大切に使ってね。




そう言って

桜の花のように

命を散らしていく。




美しすぎる。





こんなことを

考えていると



無駄に食べたり

吐いたりするわたし。



わたしは

彼らの大切な命を

無駄にしている。。。



何かこの地上で

まだ何かを成し得ただろう

その命を



わたしは

ドブに捨てている。








わたしの命のバトンを

繋いで行ってね。








最後は

祈りって



どの分野でも

そう聞く。




そういったことに

想いを馳せること。




あたまで

こねくり回しても

人は動けない。




【感じること】で人は初めて

動ける(変われる)のかもしれない。