母はいつも

わたしの言動に怯えている。




別にわたしは

普通にしてるのだけど




母にとって

わたしは

脅威そのものらしい。






失礼な‼️(💢)




そう思うのだけど

母にいくら話しても

疲れるだけ。




相手の感じ方は

相手の自由。




変えられないわ。









「お姉ちゃんは

言い方がきついから怖い」










いつもなら

この言葉に対して反応せず




「また言ってるよ。。。」




そう放置なんだけど




この言葉を聞くたびに

毎回気分が悪くなる。




「これは

なんとかしたいわ。。。」




そう思えて

考えてみた。





そうしたら


自分ではわかってるようで

分かってなかった部分があるかも!?


そう見えてきた。





母とわたしは


水と油

天と地

山と海


真逆の性質(価値観)


を持っていて



同意(共感)することは

まれである。



だから



一緒にいても

お互いに寂しい感じがある。




そんな中

わたしの思考は



正義と悪。

正しいか正しくないか。



この両極に振り切っている

自覚があって。。。。





昨日車で移動していて

母が


「あの車は鮮やかだね🚗」




「え?どこが?」

「鮮やかってさー、あっちの車🚙のこと言うんだよ‼️」







はぅ!!



わたし、

めっちゃ


喧嘩腰の言い方

してる‼️‼️

(こわっ)







無自覚!!

無自覚!!!!



こわっ!!!




ヤンキーかっつーん!!







いやー

これはこわいわー。



母が怖がるのは

間違いない!!(汗)







なんでこんな反応してるんだろ?







なんできつい言い方してるん?








自分に聞いたの。


そしたら







だってお母さん、

間違ったこと言ってるんだもん。






嘘ついちゃダメだよ。

悪い子だよ。











車の色が鮮やか🚗か

鈍い色🚙なのかは



その人の感覚の問題

であって

正解不正解ではない。



なのにわたしは



感覚的なものにも

正解不正解があると

思い込んでいるらしい。




だから

いろんなところで

喧嘩腰な私が出る。




このカレー辛いね。

このアイス甘過ぎるなー。

お湯の温度ちょうどいいね。

百合の花ってきれいだね。




こんな意見が飛び交う時には




母と感覚が全く合わないわけで

すべてが自動的に正解不正解に縦分けされて




その意見は間違ってるよ!!!



ときつい言い方が出るという

そんな訳だ。







わたしは

全ての物事において

正解不正解で判断してる?




この視点が

手に入った。




その前提で

生活を観察してみると

とても面白い世界が見えてきた。




しばらく

この眼鏡をかけて

生活を楽しもうと思う。