尊敬する人




わたしには

憧れの人がたくさんいる




みんな知識人だし

人格者




器が広くて

人間的に非の打ち所がない















って

思ってる




でも




長く一緒に居たりすると





あれ?




って思える時があったりする。











生徒と先生っていう

違う立場で




適度な距離感がある時は

良いところしか見えなかった




でも




距離感が縮まることで

長い時間を共に過ごすようになると






この人

なんか思ってたのと違う。。。




なんか



がっかりショボーンショボーンショボーン




そんな時が

あったりした。











わたしは

わたしの持っているものを

求めるひとに



花咲爺さんのように



思いっきりばら撒きたい!!



っていう思いがある。






でもどうして

その行動にならないのか?






それが

この思いだったのかもって

思えた。




もしわたしが

人に与えて与えてって

そんなことしたら




周りの人から

立派な人だと思われて




立派な人になったら




四六時中

ちゃんとした人でなければならない









いや、無理。

わたしはちゃんとしてないもん。

立派な人じゃないし。




でも

幻滅されたくないから

立派な人として振る舞わなきゃって

なるよね?












うん。



行動するのはやめよう。



立派な人でいるのは窮屈だもん。



何もしないままでいよう。











この決断を

無意識にしてるんだ。




だから現実が進まない。











人間、みんな

そんなに違わない。




プラスの面とマイナスの面を

両方持ち合わせている。




どちらか一方だけでは

存在し得ない。




見方が違うだけ。

どっちもある。




すごい人でも

ギャンブルしたり

酒に暴れたりするし




そうでない人も

ゴミ拾うし

親切だったりするし




なのに

すごい人ってなると

何故か

素晴らしき人格者だって

勝手に美化しちゃう。




全面的にいい人

全面に悪い人なんて

居ないのだと



わたしは

それを自然に

受け入れられてないんだと

ふと思った。