幸せってなんだろう?





わたしはおじいちゃんが大好きだった。

いつもニコニコしていて

わたしを「可愛いかわいい」

と言ってくれた。





そんなおじいちゃんは

いつも畑に居た。





朝早くから

日が暮れるまで

ずっと畑で仕事をしていた。




おじいちゃんは

叔父さん夫婦(長男家族)と一緒に

働いていたけど途中から

叔母さんが半身不随になったことで

おじいちゃんひとりで

畑にでるようになった。




わたしはおじいちゃんが

いつもひとりぼっちで畑にいる

そんな姿をみて切なかった。





誰とも話もしないで

腰を叩きながら

土と向き合っていた。




朝から晩まで外に居て

泥んこでいつも汚れていて



部屋でちょっと休むものなら

おばあちゃんから



「いつまでも休んでるんじゃないよ

このくそジジイ」



なんて言われたりして。。。






おじいちゃんは

不幸で可哀想過ぎると。


楽しいことなんてない

辛い人生なんだと。





おじいちゃんは

何のためにいきてるんだろうか。。。






わたしは

おじいちゃんほど

楽しみの無い辛い人生を送っている人は

居ないだろうと思ってた。






でも

今ならそうじゃなかったのかも。




おじいちゃんは

幸せだったのかも?




そう思える。













おじいちゃんは

わたしたちの笑顔を思いながら

野菜を育てていたんだ。





(このお野菜を

美味しく食べてくれたらいいな)





そう祈りながら

丹精込めて畑を耕す。



肥料を撒いたり

水やりをする。



そして

その想いのように

お野菜ができる。




そのお野菜を

美味しく煮炊きして




「どうだ?おじいちゃんの作ったお野菜は

おいしいだろう?」




おじいちゃんが生きていた時は

わからなかったけど




とても

充実した日々だったのかもしれない。





その頃の

小さなわたしは




綺麗なお洋服(スーツなど)着て

室内にてお仕事することが

社会的に地位があり

頭も良く

収入もあり

素晴らしい人なのだと

思い込んでいた。





だから






おじいちゃんは

大好きだけど



社会的には

なんの価値もない

下の人間なんだと



だから



汚いし

雑に扱われるし

不幸なんだと



可哀想な

そんな人間なんだと

思ってた。














なんて

わたしって

勘違いヤローだったんだろ。



勝手な決めつけも

いいところ。






今ならわたし

おじいちゃんのこと

尊敬できる。



おじいちゃんは

とっても幸せな生き方してたって。



人の幸せは

その人が決める。



その見えない部分が

重要だったのだと

あの頃はわからなかった。