8月6日 0.68gの質量欠損
76年前の今日8月6日の8時15分。広島に原子爆弾が投下されました。
ちょうど10年前の8月に広島に行ったのですが、当然、その時に原爆に関わる
場所にも行って来ました。2011年の8月のブログにはその際の内容を記載しました。
爆心地は原爆ドームのように思われているかもしれませんが、実際にはそれとは
通り1つ分離れた現在「島内科医院」という病院の場所にあります。
2011年に訪れた際に、そこのプレートを撮影して来ました。
爆弾が爆発したのはこの580m上空。
スカイツリーが634mですから、ほぼその高さで爆発したことになります。
この場所で真上を見上げてみました。
2011年の振り返りはこの辺までとして、その時の政府・軍の状況です。
広島の壊滅的な状況を一番早く知ったのは海軍でした。
海軍は呉に「鎮守府」という主要拠点があり、8時半には第一報を受け
正午頃には調査団の派遣を決定。
一方、陸軍は「第二総軍司令部」が広島に有り、原爆によって連絡不能となり、海軍の呉鎮守府経由で
連絡が送られて来ました。内閣は陸軍省経由で迫水書記官長が知ったのが午後遅く。
落とされたのが原子爆弾なのか何なのかも詳細は把握出来ていませんでした。
昭和天皇は蓮沼侍従武官長から「広島が一発の爆弾で壊滅状態」との報告を受け、特別な御たずねは
無かったものの、深い憂愁の色をうかべおられた、とのことでした。
この爆弾が何なのかを政府が知るのは、翌7日朝のアメリカからのラジオ放送のトルーマン大統領の声明で、
になります。
ただ、国民が広島が何らかの爆弾で一瞬のうちに破壊されたと知る事は、さらに1日後の8月8日。
日本政府はさらに和平に向けて一刻の猶予もならない状況になってゆきます。
余談:
E=mc^2 (E::エネルギー、m:質量、c:光の速度)というのは相対性理論でよく知られた
「質量とエネルギーは等価(可換)である」という物理法則ですが、
広島の原子爆弾で起きた質量欠損(m)は、わずか0.68g(一円玉質量の約70%)だったそうです。
核反応は、わずかこれだけで膨大なエネルギーを発生させる事が可能です。
しかしながら、このエネルギーを扱う事が、人間にとって技術的にも倫理的にも非常難しい事は
広島、長崎の事や未だに非核化が進まない事、チェルノブイリや3.11に福島で起きた事
そして廃炉の道筋すらついていないことを見れば明らかです。