Suffering(苦難)というものがあった際に、
その suffering(苦難)の渦中にある人に対して
周囲に、手助けを差し伸べる人々がいるならば、
その人は
「助けられる」という、
「苦難の渦中において光を見出す」という、
尊い、得難い体験をすることができる。
その人は、人間の「愛」というものを克明に覚える体験をすることになる。
自らの魂に響くような体験をすることができる。
(Suffering の無い(高次の)世界では、そのような体験を「リアルに」することはできない。)
それが、suffering というものに付与できるポジティブな意味付け。
今朝の夢の中で、
僕は、ウクライナに住む、
戦争を体験しているウクライナ人であるようでした。
わかりやすく言うとそうなるのですが、
より正確に言うと、
僕は、
「いまのこの地球で戦争による苦難を体験しているウクライナの人」と同じようなパターンの体験をしている、「パラレルワールドの住人」という感じでした。
夢の内容は、以下のような感じです。
僕たちが、戦地である「ウクライナ」を離れてほかの国へと移っていけるように、
手はずを整えてくれた人物がいる(※人物Aとします)。
Aは、さまざまな工夫をこらし、
辿れるルートを考え
(邪魔が入らずに)僕たちが移動できるように
考えてくれているのだ。
ユーラシア大陸を(陸路で)横切っていくルートを辿るらしい。
移動していっている僕たちが、
途中で滞在する場所がある。
その場所も
人物Aが手はずを整えてくれた場所。
人物Aから、
その場所のチーフである人物(B)へと送られた手紙を、
人物Bが手にしており、
封を開ける。
(その手紙の文面が僕に伝わってくる。)
手紙の文面が、とても愛情にあふれている。
僕たちの事情に配慮のある文面で、
人物Aの親切心がダイレクトに伝わってくる。
このような人物がいることに、
あふれんばかりの感謝を覚え、
僕は泣きそうになる。
というところで目が覚めました。
*****
目覚めたあと、
夢から「伝わってきたこと」を反芻していると、
映画『シンドラーのリスト』のオスカー・シンドラーなどのことが浮かんできました。
この世で見聞きする suffering を取り巻くバイブレーションを
私たちが
「慈愛」「コンパッション」のバイブレーションで包み込んでいくならば
(そして、その「私たち」の人数が一定数に達すると)
もう、私たちは、
suffering というものが存在しないバージョンの地球へとシフトするのでしょう。
「とっしー平太」とつながりの強い、
いわゆる「並行生」や「過去生」の体験を
「とっしー平太」が夢の中で体験したのかなと思いました。
別のインカネーションの体験したことが
「とっしー平太」自身の体験になったような感じがします。
夢の中で感じた、
「感謝」の気持ちを
(本当に「あふれんばかり」でした)
覚えておこうと思います。