来週月曜日、友だち主催のお話会で、ゲストとして話をすることになっているので、

準備を兼ねて、

あらためて 「バシャール」が

「ザ・ワン」と「オール・ザット・イズ」をどのように説明しているかについて、

公開セッション動画やら対談本やらを

見直したり ひっくり返したりして、

調べてみています。

 

で、

日本語でいちばんわかりやすく

まとまっている説明は、

喜多見さんとの対談本に載っている説明だな、

と思いました。

(現時点では そう思っています。)

 

 

以下、該当部分を抜き出してみますね。

(『BASHAR2017 世界は見えた通りでは、ない』
 ダリル・アンカ,喜多見龍一. pp.15-18)

 

若干、僕的に表現をなおした部分もあります。

 

(今日はこれだけの(抜粋だけの)ブログ記事。)

 

 

 *****

 

 

まずは 私たちが「ザ・ワン」と呼んでいるものがあります。

 

ザ・ワンは完全に均質であり、そこには「他者、ほかのもの」は存在しません。

 

そしてザ・ワンには、self-awarenaess がなく、自分が存在しているという概念すらありません。

 

ただし、ザ・ワンの一つの側面として、自らを認識している側面があります。

その側面のことを私たちは「オール・ザット・イズ」と呼んでいます。

 

オール・ザット・イズは、ザ・ワンの一つの側面であって、

このオール・ザット・イズは、自分がすべてであるということ認識しています。

 

それに対して、ザ・ワンは「ただ存在している」ものです。

 

しかし、オール・ザット・イズには、self-awareness があります。

 

それはなぜかというと、

オール・ザット・イズが、

ザ・ワンのなかに「オール・ザット・イズの反映 reflection」をつくったからです。

 

反映としてのオール・ザット・イズができると、

即、ほかのものや他者も存在することができるようになります。

 

他者が存在するということは、比較対象ができるということであり、結果的に「わたし」という認識もできることになります。

 

「他者」という認識がなければ、「わたし」という認識もあり得ません。

 

そして「わたし」という認識があれば、self-awareness ができるので、

self-awareness = 意識 consciousness が生まれてくることになります。

 

つまり、意識 consciousness は、ザ・ワンのなかにオール・ザット・イズとしてあって、「自らが自らのことを認識しているあり方」ということになります。

 

すなわち、意識 consciousness = self-awareness ということです。

 

オール・ザット・イズはすべて意識でできており、

オール・ザット・イズが生み出すすべてのものも意識でできています。

 

なぜかというと、すべてがオール・ザット・イズの反映だからです。

 

つまり、意識が自らを表現するレベルには、さまざまなレベルがあるということです。

「意識の反映」のレベルには、

たとえば オール・ザット・イズというレベルがあったり、

「オーバーソウル」と呼ばれるレベルがあったり、

「ソウル」と呼ばれるレベルがあったりします。

それらはすべて「意識の反映」です。

つまり、これらのレベルは

オール・ザット・イズが 「自らを体験するために」、自らの反映を さまざまな形でつくっているということなのです。

 

 

 *****

 

 

ちなみに、上記の お友だち主催のお話会は
(以前も紹介しましたが)こちら。

 

 

 

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