今回の記事は、

バシャールの言っていることを、そのまま紹介する記事ではなく、

バシャールの言っていることを、最近の僕がどう感じたか、という記事です (^^)

 

 

*****

 

 

「ザ・ワン」は、自分自身を認識することができない。
(=「ザ・ワン」は、「なにかを体験する」ということがない。)

 

「ザ・ワン」の一側面である、
「オール・ザット・イズ」は、自分自身を認識できる。
(「オール・ザット・イズ」は、あらゆる体験をする。)

 

「ひとりの人間」と、
「オール・ザット・イズ」とは、
別々のものではない。

 

「ひとりの人間」も、
「オール・ザット・イズ」の一側面である。

 

「ひとりの人間」も、
「オール・ザット・イズ」である。
(「ひとつはすべてであり、すべてはひとつである。」)

 

 

*****

 

 

上記は、バシャールが述べていることを、書いたものです。
(原文を見ないで書いたけど、

たぶん、バシャールが説明する仕方と(バシャールの使う表現と)、

それほど、かけ離れていない言い方で表現できてるんじゃないかと。)

 

 

*****

 

 

僕は、上記に書いたことを、

「これはその通りなんだろうな」

と、思っています。
「このこと」に納得しています。

 

 

*****

 

 

そして、「このこと」が、本当に「その通りだ!」と思えているなら、

 →どんな「ネガティブ」な体験もしなくなりますね?

 

 

だけども (^^)
僕は、いまもなお、
例えば、
「気分が落ち込むなあ」と感じるときもあれば、
なにかを「怖い」と思うこともあります。

 

 

で、もちろん、

例えば、

「気分が落ち込むなあ」と思ったときに、

「気分が落ち込むなあと感じていること」自体に対して

ネガティブな意味づけは付与しません。

 

それでも、「気分が落ち込むなあ」と感じる体験は

引き続き生じ続けています。

 

(「気分が落ち込むなあ」と感じることを

「なくそう」と思う必要もないんだろうな、

とも思っています。)

 

 

「気分が落ち込むなあ」と感じる体験が引き続き生じ続けているということは、
すなわち、

「気分が落ち込むなあと感じる体験が生じるような」なにがしかの定義(信念)を

僕が持っている、

ということに

(バシャールの説明からすると)

なります。
しかし、僕は「その定義(信念)」をつかんでいないようです。

 

 

*****

 

 

前々回のセッションで、

バシャールが(あらためて)前面に出してきた

「赦し」

という概念。

 

この「赦し」という概念は、
とてもとても、めっちゃ有用なものだと、
あらためて実感しています。

 

 

僕の感じている、

(今回の)バシャール的「赦し」のニュアンスを

僕なりに表現すると、
以下のカンジ

になります。

 

(若干、オネエになります(笑))

 

 

 ~ ~ ~ ~ ~

 

 

定義(信念)をみつけるとか、

ポジティブな意味づけを付与する、とか、

もう、そういうごちゃごちゃしたこと

ぜ~~~~んぶほっぽっちゃっていいから(笑)
ぜ~~~~んぶまとめて、
(珠算で言うところの)
「ご破算で願いましては!」
ってしちゃいなさい(笑)

 

 

それまでやってた「ごちゃごちゃした、こまごました計算」、

ぜんぶチャラにして、
もう、新しい「計算」作業を、始めっちゃったらいいのよ。
 

 

んで、そのときの新しい「計算」は、
いちばん上に書いた、

「ザ・ワン」「オール・ザット・イズ」に基づいた、「計算」に

しちゃいなさい(笑)

 

 

 ~ ~ ~ ~ ~

 

 

ってカンジです(笑)

 

 

「赦し」は、
「ご破算で願いましては」
ってするのに、
めっちゃ役立つ、

ある種の(特定の)バイブレーションだなあ、って感じがするんですよね。

 

 

 

もう、日々、かたっぱしから、
「ご破算に、しまくって」
ます(笑)(笑)

 

 

 


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