今回の記事は、
バシャールの言っていることを、そのまま紹介する記事ではなく、
バシャールの言っていることを、最近の僕がどう感じたか、という記事です (^^)
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「ザ・ワン」は、自分自身を認識することができない。
(=「ザ・ワン」は、「なにかを体験する」ということがない。)
「ザ・ワン」の一側面である、
「オール・ザット・イズ」は、自分自身を認識できる。
(「オール・ザット・イズ」は、あらゆる体験をする。)
「ひとりの人間」と、
「オール・ザット・イズ」とは、
別々のものではない。
「ひとりの人間」も、
「オール・ザット・イズ」の一側面である。
「ひとりの人間」も、
「オール・ザット・イズ」である。
(「ひとつはすべてであり、すべてはひとつである。」)
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上記は、バシャールが述べていることを、書いたものです。
(原文を見ないで書いたけど、
たぶん、バシャールが説明する仕方と(バシャールの使う表現と)、
それほど、かけ離れていない言い方で表現できてるんじゃないかと。)
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僕は、上記に書いたことを、
「これはその通りなんだろうな」
と、思っています。
「このこと」に納得しています。
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そして、「このこと」が、本当に「その通りだ!」と思えているなら、
→どんな「ネガティブ」な体験もしなくなりますね?
だけども (^^)
僕は、いまもなお、
例えば、
「気分が落ち込むなあ」と感じるときもあれば、
なにかを「怖い」と思うこともあります。
で、もちろん、
例えば、
「気分が落ち込むなあ」と思ったときに、
「気分が落ち込むなあと感じていること」自体に対して
ネガティブな意味づけは付与しません。
それでも、「気分が落ち込むなあ」と感じる体験は
引き続き生じ続けています。
(「気分が落ち込むなあ」と感じることを
「なくそう」と思う必要もないんだろうな、
とも思っています。)
「気分が落ち込むなあ」と感じる体験が引き続き生じ続けているということは、
すなわち、
「気分が落ち込むなあと感じる体験が生じるような」なにがしかの定義(信念)を
僕が持っている、
ということに
(バシャールの説明からすると)
なります。
しかし、僕は「その定義(信念)」をつかんでいないようです。
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前々回のセッションで、
バシャールが(あらためて)前面に出してきた
「赦し」
という概念。
この「赦し」という概念は、
とてもとても、めっちゃ有用なものだと、
あらためて実感しています。
僕の感じている、
(今回の)バシャール的「赦し」のニュアンスを
僕なりに表現すると、
以下のカンジ
になります。
(若干、オネエになります(笑))
~ ~ ~ ~ ~
定義(信念)をみつけるとか、
ポジティブな意味づけを付与する、とか、
もう、そういうごちゃごちゃしたこと
ぜ~~~~んぶほっぽっちゃっていいから(笑)
ぜ~~~~んぶまとめて、
(珠算で言うところの)
「ご破算で願いましては!」
ってしちゃいなさい(笑)
それまでやってた「ごちゃごちゃした、こまごました計算」、
ぜんぶチャラにして、
もう、新しい「計算」作業を、始めっちゃったらいいのよ。
んで、そのときの新しい「計算」は、
いちばん上に書いた、
「ザ・ワン」「オール・ザット・イズ」に基づいた、「計算」に
しちゃいなさい(笑)
~ ~ ~ ~ ~
ってカンジです(笑)
「赦し」は、
「ご破算で願いましては」
ってするのに、
めっちゃ役立つ、
ある種の(特定の)バイブレーションだなあ、って感じがするんですよね。
もう、日々、かたっぱしから、
「ご破算に、しまくって」
ます(笑)(笑)
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