お前はどうせオムライス 第十一回 | 中川忠の小説です。

中川忠の小説です。

中編小説を掲載しています。方針を変更して、毎日の連載にします。

「いつまでもそんな所に立ってんと、早く家に入り!」とまた母の叱責の言葉が飛んで来た。ぼくの体も飛んで、慌てて中に入り、畳の上に座り込んだ。

「何持ってんねん?」と母が訝し気に訊ねる。ぼくが右手に持っていたクワガタムシを目に留めたのだ。

 ぼくは何も言わずにクワガタムシを前に差し出した。

「どこで貰って来たんや?」

「貰ってない。拾た」

「どこで拾たんや?」

「地面に落ちてた」

「そんなもんが地面に落ちてるわけないやろう。誰かに貰ったんやったら、貰ったって言えや。ちゃんとお礼をせえへんかったら、お母ちゃんが恥をかくからな」

「貰ったんやない。ほんまに地面を歩いてたんや」と言い張った。杭に釘付けにされていたとは絶対言えない。

「まあいいわ。そういうことにしとこう。後で何か分かったら、思い切り叩いたるから」と言って、母はミシンを一回思い切り踏み込んだ。そして、

「おさむは、そういうもんが欲しかったんか?」と訊ねた。

 ぼくは母の言っている意味が分からず、ポカンとした顔で母を見ていた。

「欲しかったんやろ? それでそんな嘘をつくんやろ? 欲しかったら、お父ちゃんに、欲しいって言うたらええのに。何で言えへんねん。お父ちゃんはお父ちゃんやねんで、隣のおっちゃんやない。そんなムシが欲しかったら欲しいって、何で言えへんのや」

 正直言って、ぼくはクワガタムシなんか欲しいと思ったことはない。ぼくの欲しいのは、ぼくのことを罵倒したり叩いたりすることのない父と母だ。

 しかしそんな願いを今ここで公言するわけにはいかない。

 ぼくの喉は何か大きな物が詰まったようになって、言葉が出ない。すると父が、

「俺のことなんか、どうせ嫌いやねん。嫌いや思てる奴に好きになってもらう必要はない。いつも俺のこと睨みつけやがって。それが親に対する態度か」とだんだん本気になって怒ってきた。

 ぼくは畳の上に正座をしたまま、両の太ももの上にそれぞれの手を置いて、じっと下を向いていた。

 きっと父はとてつもなく恐ろしい顔をしてぼくを睨んでいるのだ。そんな顔を見たら最後、恐ろしさのあまり気絶しかねない。

「好きとか嫌いとかとちゃうねん」母がミシンをかけながら言った。

「気が弱くてあかんたれやから、お父ちゃんに、欲しいもんも欲しいってよう言わんのや。そんな気の弱い男でどうすんねん。どうやって社会を渡っていくつもりやねん。ほんま、親ながら情けないわ」

 ぼくもその意見には賛成だ。こんな状態で大人になっても、世の中を渡っていくことなんか出来ない。ぼく自身が一番情けない。

「おなかすいたんか?」と母が訊ねた。

「うん」と答えると、

「冷蔵庫の中にソーセージがあるから食べ」と言ってくれた。

 ぼくは喜び勇んで冷蔵庫に飛びついて、その中から一本のソーセージを取り出した。

「まだ食べたらあかんで」母は禁止の令を出す。

 さあ食べようと身構えていたぼくは、母をポカンと見上げた。

「お父ちゃんに謝ってからや」

 何を謝るのだろうか。

「せっかく食べに連れて行ってもらったのに、途中で泣き出して、一人でどこかに行ってしまったらしいやないか」

 あまりにも事実と異なった説明だ。ぼくは恐る恐る父を見たが、父は眉間に険悪な皺を寄せてこちらを睨んでいた。

 そんなにぼくが嫌いなら、よそへ養子にでも出したらええのに。小学校三年生の頭では養子という知識はなかったが、とにかくよその子にしてしまえばいいのにと思ったことは事実だ。

 ぼくはソーセージを持ちながら直立不動になって、父に向かって「ごめんなさい」と頭を下げた。とやかく言って抵抗しても無駄だったし、抵抗するにも、その当時はどのような言葉で主張したらいいのか分からなかった。

 父は難しい顔をしたまま縦に頭を振った。承知したという合図なのだろう。何を承知したのだろう。ぼくを公衆の面前であんなに罵倒して、足で蹴りまで入れたことが、全てぼくの罪だというのだろうか。