コリコリ…… 第三十六回 | 中川忠の小説です。

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中編小説を掲載しています。方針を変更して、毎日の連載にします。

 そのように疑心暗鬼になっているのは、苦しいことこの上ない。精一が頭の毛を掻きむしって悩んでいると、おばさんが、

「ええやん、ええやん、浮気でも何でもしい。あんたまだ結婚してるわけやあれへんねんから、何でも自由や。それよりも深刻に考えたらあかんで。何事も浅く深くや」と不思議な助言をした。そしてそれはさっき言っていた話の続きだということに、精一は思い至った。

「三年寝太郎ですか?」と訊ねると、

「そうや、三年寝太郎や。ぼんやり寝てる方が、ええアイデア浮かんでくるっていうもんやで。あんた、小説書いてんねんから、それくらい分かるやろう。頭の中から血でも搾り出すように考え詰めてたら、逆にええ考えなんか出えへん。外に出て、きれいな女の子ぼんやり眺めてる時の方が、あっ、そうかって、深い考えが出たりする。そんな経験あれへんか?」と訊ねるので、精一は考えた。おばさんには悪いが、ここにはきれいな女の子はいないから、理栄の全裸の姿を思い浮かべてみる。そして、

「そうやねえ。女の子いうんは、ある意味浅いけど、別の意味で深い」と言う。

「そう。そのへんのしょうもない男の子には、女の子は単に浅いだけのもんに見えるけど、あんたみたいな小説を書くような人は分かるやろう? 女の子は浅くて深いっていうことが」

「分かります」何となく腑に落ちた。

「要するにそういうことや。あんたみたいなタイプの人にとったら、女の子いうんは、凄い勉強道具になるんや。道具いうたら悪いけど、世の中には道具くらいにしか役に立たん女の子も多いからなあ」と言うおばさんの言葉を聞いて、精一はすぐさま、理栄のあのコリコリを思い出した。あれは単なる道具ではない。素晴らしい宝物だ。

 その素晴らしい宝物を一度でも賞玩できたのだから、女性体験に乏しい精一にしてみれば、僥倖の幸せだ。こんなことが一生に一度でもあったのだから、何も思い残すことはない。だからもし失ったとしても、仕方がないと思っておいた方がいい。

 そんな風に考えると、少し気が楽になって、おばさんと昔話に花を咲かすことができるようになった。おばさんはおむすびころりんの歌をちゃんと知っていて、それを精一に教えてくれた。精一は精一で、浦島太郎というのは、ある種のエッチなことを表わしている物語だと述べると、おばさんは非常な興味を示してくれた。

 お酒の酔いに包まれて家に帰り、少しご飯を食べて二階にあがり、五分ほど寝転がった後、「よし!」と気合を入れて、階段を降りて玄関口にある電話の受話器を上げた。

 時刻は七時少し前だった。理栄は家に帰って来ていた。そして「もしもし」と言う。その声がいつもより低くて、少し怖い。

 精一は、なるべく何気ない風を装って、

「大桃さん、ぼくらのお付き合いを認めてくれたよ」と朗報を述べた。

 理栄は、「あっ、そう」と素っ気ない。

 精一は、

「なんで、喜んでくれへんのん? これで何もかも万々歳やんか」と思い切って突っ込んでみた。

「セイちゃんには万々歳かも知れんけど、わたしにはあんまり万々歳やあれへんねんけど」

 これは絶望的だと、精一は電話口で頭を抱えた。あの大桃の奴、抱き合ったことを言いつけたな。

 しかしあれは彼の意志で行われたことではないのだ。彼に罠を仕掛けようとして行われたことは、一目瞭然やないか。

 そのように心の中で自分を鼓舞して、精一は、

「なんで、リエちゃんは万々歳やあれへんのん?」と探りを入れてみた。

「これから帰ろうと思うて、事務所を出ようとしたら、電話がかかってきた。大桃さんから」

 頭の中でガーンとドラのような音が鳴った。やっぱり絶望的だ。

「何の用やったと思う?」

「さあ、何やろう?」

「何やろうって、セイちゃん今言うたやんか。大桃さんは、わたしらの交際を認めてくれたんやろ? その話やって思えへんのん? 他に何かあんのん?」

「いや、なんもない」

「ほんだら、わたしが、何の用やったと思うって訊いた時に、そのことを言うたらよかったんとちゃうのん? なんで、何やろうって、とぼけたこと言うのん?」

「とぼけてへん。とぼけてへん。そうや。そのことに決まってる」

「どのこと?」

「ぼくらが交際するのんを、大桃さんが認めてくれたっていうこと」

「そうやろ? そうやねん。大桃さんは確かにそのことわたしに言うたで。彼氏が勇気のある人でよかったなあって、言うてもくれた。ほんでわたし、嬉しかったから、ありがとうございますって、電話口で頭を下げてお礼を言うたら、話はそれで終わりとちゃうでって言うた」

 精一は不意に黙ってしまった。いよいよ絶体絶命になってしまった。