そうだ、小説力だ。小説力はどうなったのだ?
「美紀子、小説力についての話はどうなったんだ? 太陽は小説力について何か教えてくれたか?」
「うん、教えてくれた」
「どんなことを教えてくれた?」
「それはあなたが太陽から直に訊かないと分からない。何故かというと、小説力というのは一人一人持ち味が違うんだって。誰にでも共通の小説力というのはないの」
「美紀子はどんな小説力なんだ?」
「それは言えないわ。あなたが太陽から小説力について話をしてもらったら、その時にお互い言い合いをしましょう」
俺はもう一度枕に頭を乗せた。少し考えたかったのだ。
もう頭は痛くない。太陽に失礼なことを言ったという事実のため、頭が痛いのもふっ飛んで行った。
それにしても太陽に『暑苦しい』と言うことがそれほど失礼なことだろうかと、俺は考えた。太陽は熱と光を周囲に撒き散らしている。『暑苦しい』のは当たり前だ。
当たり前だから太陽はそのことを苦にしているのだろうか? いや、そんなはずはない。太陽が『暑苦しい』のは当然だと思っているはずだ。
そこで俺は美紀子にこう訊ねた。
「俺は他に何か失礼なことを言わなかったか?」
「色々なことを言ったわ。お前なんかに何が分かる、とか、俺は天才だとか」
「とにかく俺は態度が悪かったんだ」と俺は納得した。
『暑苦しい』だけではない。俺は太陽に対して態度が悪かったのだ。それならば怒られても仕方がない。
「それでどうするの? 太陽にメールをする?」と美紀子は訊ねた。
「うん、分かった。太陽にメールをする」と俺は素直にこたえた。
「これが太陽のメールアドレスよ」と言って美紀子は一枚の名刺を渡した。そこには大きな字で『太陽』と書いてあって、その下にメールアドレスが書いてある。住所は『円の本棚の中核』となっている。変な住所だ。
俺はポケットから携帯を取り出して、太陽のメールアドレスを入力した。そしてこんな文章を打った。
『先程はどうも失礼いたしました。いくら酒に酔っていたとはいえ、言ってはならないことを言ってしまいました。心から反省しております。
どうかわたしにも小説力についてご伝授賜りますように、切にお願い申し上げます。
太陽様の寛大なお許しをお待ち申しております』
俺は美紀子に携帯を渡した。そして「こんな文章を打ったけど、どうだ?」と意見を伺う。
美紀子は俺のメールを読んだ。
「これでいいんじゃない」と軽く言う。
「こんなのでいいのか?」と俺はびっくりして訊ねた。もっとこうしなければいけないとかの意見が聞けると思っていたのだ。
「それじゃあ、どんなメールを打てばいいというの?」と美紀子が逆に訊いてきた。「メールだもの、こんなものでしょう。それともお手紙を書く? お手紙ならもっと丁寧に書いた方がいいけど」
「俺は手紙は苦手だ」
「そうなのね、あなたは小説を書く癖に、手紙を書くのが苦手だものね」と言って美紀子はほほ笑んだ。
「そうなんだ、俺は手紙を書くのが苦手だ。どうしても手紙を書かなければならない時は、いつもきみに代わりに書いてもらっている。今も代わりに書いてくれないか?」
「いやよ、わたしは。それに円の本棚の中核には郵便局がないから、手紙をどこに投函していいのか分からない」
「太陽に直接手渡せばいいじゃないか」
「駄目よ。太陽はとても熱いから、絶対に近くには寄れないわ。近くに寄ったらわたしが燃えてしまう」
「ほら、やっぱり太陽は暑苦しいんだろう?」
「あっ、また言ったわね。あなた一つも反省していないでしょう?」
「反省はしてるよ、反省は。しかし太陽は何と言っても熱い。それは認めるだろう?」
「熱いのと暑苦しいのとは大変な違いよ。あなたは小説を書いているんだから、それくらいの言葉の意味の違いを知っておくべきだわ」
「小説を書くのと実際の会話とはまた別物だ」
「別物じゃないわ。同じ物だわ。そんなこと言っていると、あなた、いい小説は書けないわよ」
「それは太陽が言った言葉なのか?」と俺は探りを入れた。
美紀子は「さあ」と言ってとぼける。
「とにかく俺は太陽と会わなければならない。それはお前もイエスとこたえるだろう?」
「そうよ。あなたは太陽に会わなければならない。それは正しいことよ」
「それならばこのメールを送る。いいな?」
「あら、まだメールを送ってなかったの?」
「お前もとぼけたことを言うなあ。お前がメールを送れというから、メールの文章を入力したんだ。お前が送っていいと言うまで送れないじゃないか」
「そうね。それならさっきのメールの内容でいいから、送って」と美紀子が了解を出した。
俺はメールの送信ボタンを押した。
俺はまた布団の中に横になる。そして一つ大きく息を吐く。
「どうしたの?」と美紀子が訊ねた。
「どうもしない。ただちょっと疲れたんだ」
「まだお酒の酔いが残っているんでしょう?」
「正直言うとそうなんだ。まだ頭が痛い。このまま眠ってしまいたいくらいだ」
「眠ったらどう?」と美紀子は冷たい。
俺は何も言えず、布団の中でウーウー唸っていた。
「どうしたの? 何か病気なの?」と美紀子の声は心配そうなものに変わった。
「うん、病気みたいなものなんだ、酒の酔いというものは。だからたちが悪い。楽しんだ後に必ずこうして病気みたいになる。それが酒というものだ。それならばもう飲むのをやめればいいんだが、そういうわけにはいかない。また飲みたくなる。そして今日みたいな失敗をしでかすというわけだ。まいったな」
俺はすっかり落ち込んでしまった。今まで持っていた元気は大方なくなってしまった。もうすぐのところで泣き出しそうになった。
そんな時部屋のドアがコンコンとノックされた。美紀子は「はい」と言ってドアを開けた。俺は身を乗り出して誰が来たのかを見る。するとドアのすぐそばに驚異の石ころが立っていた。
俺は思わず「驚異の石ころさん!」と叫んだ。驚異の石ころは「何です?」と言って俺のそばに寄って来た。俺が驚異の石ころに対して下手に出ることはなかったので、彼も驚いたのだ。
「驚異の石ころさん」と俺はもう一度呼びかけた。
「はい、何でしょうか?」と驚異の石ころは冷静に返事をした。
「助けて下さい」と俺は驚異の石ころに対して目でも訴えた。
「どうなされたのですか?」と驚異の石ころの顔は心配げなものに変わった。
「俺は太陽に対してとても失礼なことをしてしまった。さっき太陽にお詫びのメールを送ったんだが、そんなことくらいでは許してはもらえないだろう?」
「いえ、そんなことはないです。太陽はもうお許しの言葉をおっしゃっておりました。それでぼくがこうしてここまで来たのです」と驚異の石ころはとても愛情のこもったほほ笑みを俺に対して見せた。
俺は体を半身起こして「本当か?」と訊ねた。「本当に太陽はぼくを許してくれたのか?」
「はい、太陽はあなたに近くに来てもらいたいと言っております」
「ああ、よかった、よかった」と言って俺はまた布団の中に倒れ込んだ。
「もう大分ご気分はおよろしくなりましたか?」と驚異の石ころはいやに丁寧に訊ねる。
「気分はよくないよ」と俺はぶっきらぼうにこたえる。太陽のお許しが出た途端に、俺は気が大きくなった。
「気分がよくないのなら、太陽にお会いするのは明日に延期しましょうか?」
「いや、それは困る」と俺はガバッと起き上がった。「今すぐにでもお会いしたい。それともすぐにお会いするのは駄目なのか?」
「駄目なことはありません。むしろすぐの方が太陽にしてもぼくたちにしても都合がいいです。太陽には面会者が殺到していますし、ぼくたちにしてもいつまでも円の本棚の中核にはいられませんからね」
「どうして俺たちはここにいつまでもいられないんだ?」と俺は疑問に感じて訊ねた。
「円の本棚の中核は人間を食べてしまうのです。それは不審人物を中に入れないという円の本棚の中核の知恵でもあるのです。だから円の本棚の中核に一泊しただけで、ぼくたちの体の半分は溶けてしまいます」
それは恐ろしい話だ、と俺は考えた。
「それなら、どうしてさっき俺に、太陽に会うのは明日にしますかと訊ねたんだ? 明日になったら俺は体が半分になってるじゃないか」
「体が半分になったら、普通は死ぬわね」と美紀子が冷静に論評する。
「そうです。普通は死にます」と驚異の石ころは美紀子にこたえている。
「だから、どうしてなんだ?」と俺は重ねて訊ねる。
「それはこういうことです。人間を溶かすかどうかは太陽の一存で決まることなんです。太陽がこの人間を溶かしたくないと指示すれば、その人間は溶けずにすむのです。だからもしあなたが明日太陽にお会いしたいと言えば、太陽はぼくたちを溶かさないようにするはずですから」