ビービー・デビル 第二十三回 | 中川忠の小説です。

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中編小説を掲載しています。方針を変更して、毎日の連載にします。

 我らが指導者は大きなジョッキをあっと言う間に飲み干してしまった。俺はそんなに速くは飲めない。

「きみたち、きみたち、遅いではないか」と我らが指導者が上機嫌になって言った。

「あなたが速すぎるのです」と晴れの門出が異議申し立てをした。「もっと体のことを考えて飲みなさい」

「そうです。我らが指導者はもっと体のことを考えるべきです」と驚異の石ころが意見を述べた。

「そうか、そうか、驚異の石ころはわたしの体のことを考えてくれているのか」と我らが指導者は何度も頷いた。

「そりゃ、我らが指導者に元気でいてくれないと、ぼくはあっと言う間に失業してしまいますからね」と言って驚異の石ころは笑った。

「きみはそんな意味で言ったのかね? 本当にわたしの体を心配してくれたのではないのかね?」と我らが指導者は少し不機嫌だ。

「本当に心配していますよ」と驚異の石ころはやはり笑っている。本気で言っているのかどうか分からない。

「まあ、いい。きみは有能だから、たとえ何を言おうとわたしはきみを手放すことが出来ないんだ。だから本意はどうあろうと、いつまでもわたしのそばにいて欲しい」と我らが指導者は俄に気が弱くなった。

「大丈夫です。いつまでもあなたを補佐します」と驚異の石ころは約束をした。

「我らが指導者が我らが指導者を辞めてもか?」と晴れの門出が疑問を呈する。

「はい」と驚異の石ころは平然とこたえた。

「それは嬉しい」と我らが指導者が感嘆した。

「わたしの命は我らが指導者とともにあります。それは我らが指導者が我らが指導者を辞められても変わりはありません」と驚異の石ころは力強く言う。

「涙が出るじゃないか。そんなことを言ってくれるのは、驚異の石ころだけだ。感謝するよ」と我らが指導者は感激している。

「凄いなあ。羨ましいなあ」と晴れの門出が呟く。「わしが我らが指導者をしていた時には、驚異の石ころさんのような補佐役が一人もいなかった。みんなわしの機嫌を取る奴らばかりで、何の役にも立たなかった。今の我らが指導者に対しては羨ましいの一言に尽きる。そして驚異の石ころさんに対しては凄いの一言に尽きる。あなたは一生我らが指導者の補佐役をなさると言う。これを凄いと言わずして、何が凄いと言えるだろうか?」

「いえいえ、ぼくはそんなに凄くないです」と驚異の石ころは謙遜した。「ぼくはただ不器用なだけなんです。驚異の石ころという名前を頂いたので、もう他のことが出来なくなってしまったからなのです。それで一生我らが指導者とともに過ごすことにしたのです」

「もしわたしが将来貧乏してもか?」と我らが指導者が訊ねた。

「はい、もちろんです」と驚異の石ころはきっぱりと言った。

「わたしは感動した」とどこからか声が聞こえる。俺もみんなもあたりを見した。

「わたしです、わたしです。酒場がしゃべったのです」と言うのが聞こえた。

「おお、酒場さんがしゃべったのか。びっくりするじゃないか」と我らが指導者が酒場の天井あたりを見ながら言う。酒場の口は天井あたりにあるのではないかと思ったのだろう。

「あなたは幸せな人だ」と酒場は言った。

「うん、わたしは幸せな人間だ」と我らが指導者はこたえた。

「それはあなたが素晴らしい人間だからなんですよ」

「うん? どういうことだ?」

「あなたが素晴らしい人間だから、驚異の石ころさんもあなたに一生忠誠を尽くそうと考えたのですよ。そうじゃないですか、驚異の石ころさん?」

「はい、それはもちろんそうです」と驚異の石ころはこたえた。「わたしはつまらない人間に一生忠誠を誓おうなどとは考えません」

「ほら、聞きましたか、我らが指導者。あなたは素晴らしい人間なんです」

「わたしは素晴らしい人間なのかな?」と言って我らが指導者は俺たちをキョロキョロと見回した。

「自分が素晴らしい人間かどうかは、自分である程度見当がつきそうなものだが」と晴れの門出は厭味っぽく言った。

「いえ、そうでもありませんわ」と美紀子が反対をした。「自分が素晴らしい人間かどうかというのは、自分では分からないものです。だから人間は悩むのです。そして悩むからこそ人間は素晴らしい人間に近づいて行くのです」

「さすが美紀子さんです」と国枝修三が褒めた。「美紀子さんは物事の本質をよく分かっていらっしゃる」

「当たり前だ。美紀子は何でもよく知っている。そのことを一番知っているのはこの俺だ」と俺は吠える。

「確かに自分が素晴らしい人間かどうかは、自分では分からないものです」と酒場は言った。「だからみんなで挙手をして決めましょう。我らが指導者は素晴らしい人間ですか? 素晴らしいと思う人は手を上げて下さい」

 俺は真っ先に手を上げる。美紀子も手を上げる。それに続いて驚異の石ころと国枝修三も手を上げる。晴れの門出は一人、手を上げない。

「晴れの門出さんは何故手を上げないのですか?」と酒場は訊ねた。

 晴れの門出は、「何か悔しいじゃないか。わしだって元は我らが指導者だ。今の我らが指導者と同じくらいは立派だと思うよ」と拗ねたように言った。

「晴れの門出さんは立派です。素晴らしいです。だからそう拗ねないで下さい」と酒場は慌てて言った。

「取ってつけたような言い方だな」と晴れの門出は疑惑を差し挟んだ。

「今のところ、取ってつけたような言い方しか出来ないだろう」と俺は晴れの門出を睨みつけた。

「何故だ?」と晴れの門出は睨み返す。

「何故か分からないわけないだろう。あんたはエイエイ大王として、この国に迷惑をかけてきたんじゃないか。ちゃんと素晴らしい人間だと呼んでもらいたかったら、これからの行いを立派なものにするしかないんだよ」

 俺の物言いを聞いて晴れの門出は考え込んでいる。そしてこう言った。

「確かにそうだな。わたしはさっきまでれっきとした悪人だったものな。すまんことでした。これからの行いには十分気をつける」と晴れの門出は素直だ。

 俺はテーブルの下で握り締めていた右手の力を緩めた。やはり晴れの門出が少し怖かったのだ。いつ殴りかかってくるかも知れないと警戒していた。

 しかし素直な晴れの門出を見てホッとした。俺は晴れの門出に向かって「もう一杯ビールを飲むか?」と訊ねた。

 晴れの門出は「飲む」と簡単にこたえた。我らが指導者は訊いていないのに「飲む」と言っている。国枝修三は「もういらない」と言う。

 俺はまた大きな声で「ジョッキ生三杯!」と叫んだ。

 ドドドと音がしてポンと鳴る。ビールのジョッキ生が三つテーブルの上に乗っていた。

「わたしも喉が乾いたわ」と美紀子が言った。

 俺は「何が飲みたい?」と訊いた。

「おいしいものが飲みたいわ」と美紀子はとてもにこやかに言った。この仲間たちと一緒にいることがとても楽しいといった様子だ。

 俺も楽しい。いつまでも友達でいたい人たちばかりだ。

「みなさん、みなさん」と酒場が呼びかけた。

「何だ?」と代表して我らが指導者が訊ねた。

「みなさんは円の本棚の中核に行くんでしょう?」

「そうだが。何故知っている」

「あなた方が円の本棚の中核に行くというのは、円の本棚では有名な話題の一つになっています」

「何しろわたしはここに来てから、円の本棚の中核に行く話をあちらこちらに振り撒いているからな。それで広まったんだな」と我らが指導者は納得した様子だ。

「円の本棚の中核にはわたしがお連れしましょうか?」と酒場は言う。

「おお、そうか、あなたが連れて行ってくれるか。それはありがたい」と我らが指導者は礼を述べた。

「円の本棚の中核には家君もいます」

「何、家君がそこにいるのか。それはよかった、よかった。家君の平和光線が役に立つかも知れないな」と我らが指導者は喜んだ。

「平和光線とは何ですか?」と俺は訊ねた。

「平和光線とは平和を呼ぶ光線です」と我らが指導者がこたえた。

「平和を呼ぶ光線とは何です?」と俺は重ねて訊ねる。

「家君が平和光線を放てば、その周りの全ての人の心が平和に包まれるんだ。それは非常に役に立つ光線だ。そうは思わないかな?」

「そうですね、そう思います」と俺はこうこたえざるを得ない。

 美紀子はまた言う。「喉が乾いた」と。

 おっと、俺は忘れていた。大事な美紀子が喉を乾かしているのに、放ったらかしにしてしまった。

「分かった。何を飲む?」

「それで平和光線のことなんだが」と我らが指導者が何かを言い始めた。

 俺は「ちょっと待って下さい。ここに喉を乾かしている人がいるのだから、そういう話よりもこちらを優先させないといけないでしょう」と我らが指導者に突っ掛かった。

 我らが指導者は黙り込む。

「我らが指導者、ぼくも喉が乾きました」と驚異の石ころが言う。我らが指導者は驚異の石ころの方を見た。

 驚異の石ころはとても穏やかな笑顔を浮かべて我らが指導者の方を見ていた。そしてこう言う。

「何か飲み物を注文していいでしょうか?」

 我らが指導者は「ああ」と小さな声で言った後、すぐに気を取り直して大きな声で「ああ」と言った。

「ああ、いいとも。何か飲み物を頼みたまえ。酒場には酒以外の物も置いている。それが酒場というものだ。そうだろう? 酒場さん」

「はい、そうです」と酒場はこたえた。「何をお持ちしましょうか?」

「ぼくはコーラを飲みます。美紀子さんは何になさいますか?」

「わたしはウーロン茶にします」

「その二つをお願いします」と驚異の石ころが言うと、厨房の奥の方でまたドドドと音がする。そしてポンと音が鳴る。見るとテーブルの上にコーラとウーロン茶が並んで立っていた。