心中なんか大嫌い 第五十一回(最終回) | 中川忠の小説です。

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 するといきなり成岡が大きな声を出して笑った。

「おい、静美、最後の悪あがきはもうやめた方がいい。どんなにごまかそうとしたって、俺は須美代の後を追って死ぬ気はないし、お前だって宗近さんの後を追って死ぬ気はない。それは確かだ。そのことをこの二人の人たちはよく分かっている。要するに俺とお前は卑劣なんだ。どんなにガアガア言い立てても、卑劣なことには変わりない。さすがのお前でも、自分が卑劣だってことをはっきりと知ったら、自分のことがいやになるだろう。だからここはもう黙って二人の言う通りにしようじゃないか」

 成岡はそう言って両手を挙げた。まいりましたという合図だ。

「あなた、本気でそんなことを言ってくれるの?」と須美代が感に堪えぬという目をして夫を見つめた。

「ああ、俺はすっかり負けたよ。お前は凄い。お前は俺が渡したビールを何の躊躇いもなく飲もうとした。たいしたもんだ。だってあの中に毒が入ってるって、お前はしっかり分かっていたんだからな。宗近さんが止めてくれなかったら、お前はきっと全部飲んで、今頃死体になっていた。お前のような度胸のある人間には脱帽だ。静美、お前も脱帽しろ」

「脱帽って……」

「まさか帽子なんか被っていないなんて言い返すんじゃないだろうな。人生は冗談じゃないんだ。俺はそのことを須美代からはっきりと教わったよ。だから今から俺は行くけれど、お前はどうするんだ?」

「どこに行くの?」

「警察の待っている所さ。お前は幸いにもまだ罪を犯していないから、そのままおとなしく家に帰ればいいんだ。そしてお前のことを少しはいい女にしてくれる性根のいい男の人と一緒になるんだ。宗近さんは解放してやれ。お前には宗近さんはもったいない」

 そう言って成岡は須美代に向かって「さあ、行こう」とひとこと言って、そのまま二人で部屋を出た。

 宗近はゆっくりと服を着替えて外に出た。静美も慌てて服を着て、宗近について来る。料金を払おうとしたら、成岡が全部払ってくれていることを知った。

 二人が外に出た頃には、周りには警察の人たちはほとんどいなかった。ちらほらいる人たちが、何かを捜索している。宗近は何も関係がないような顔をして、彼らのそばを通り過ぎた。いずれ警察から呼び出されて、話を訊かれることだろう。

 静美はおなかがすいたから何か二人で食べようと提案した。彼女が言うところの『旅館』では何も食べられなかったからだ。宗近は即座に拒絶した。こんな女と食事をするくらいなら、飢えた方がましだ。

 駅に着いて真央乃に電話をした。背後に静美が立って聞き耳を立てていたが、そんなことはどうでもいい。静美は何にも言葉を発さなかった。

 柴根家のそばに真央乃が立って待っていた。静美がどこかから見ているのかも知れないと考えたが、それだってどうでもいい。ろくに物の分からない人間が訳の分からない言葉をいくら吐き散らかしたところで、彼には何も怖くはない。

 宗近は「やあ」と言って手を挙げた。真央乃は彼の顔を見て安心したのか微笑んでいる。

「心中もしなくて済んだし、駆け落ちもしなくてもいいようだよ」と宗近は言った。そして『美しい旅館』であった出来事を手短に述べた。

「成岡は逮捕それたのね。さっき警察の人が来て報せてくれた」と真央乃は言った。そして、

「友理乃が可哀そうだわ」と言って、少し涙ぐんでいた。

「将来わたしが死んだ時に、友理乃に、宗近さんを取ったでしょうと、不満を述べられるかも知れないけど、その時は、ごめんなさいって素直に謝る。あなたも死んだら、友理乃に謝ってね」と真央乃は面白いことを言った。

「うん、謝る」としか言いようがなかった。

「さあ、今からお父さんとお母さんに挨拶に行きましょう」と言って彼女は彼の手を引っ張る。

「まだ、そんな勇気はないよ」

「勇気なんかいらないわ。だってわたしもう両親にあなたのことは言ってあるもの。ちゃんと待っていてくれているわ。ほら、あそこに立っている」と真央乃が指さした家の玄関口に、真央乃の両親が並んで立っていて、二人揃って頭を下げた。宗近も頭を下げて、それから二人の元に歩み寄った。どこかから友理乃の声が聞こえた。その声は、

「お姉さんを幸せにしてね」と言っているように聞こえた。実に手前勝手な解釈ではあるが。