喪に服すという意味では、一年くらいは待つべきだったのだろう。あるいは半年でもいいのかも知れない。どれだけ待ったところで、真央乃が友理乃の姉であることには変わりはない。ある一定の日にちさえ経てば、妹が死んだ後に姉と関係を結んでも咎められないことになるのだろうか?
二人が関係を結ぶのは、今日でなければならなかった。今日結べなければ、二人はこのまま離れていき、二度と会うことはなかっただろう。
それでもよかったのかも知れない。しかし彼の心の中の声は、「それではいけない!」と叫ぶ。このままみすみす真央乃を失ってしまうことは、彼の人生を失うことに等しい。これは大袈裟な言い方ではない。
いきなり玄関口の電話が鳴った時には、時刻はもう十一時を過ぎていた。こんな時間に電話をしてくるような人は、彼や彼の家族の知り合いにはいない。何か不吉な電話のような気がした。
母が出て、小さな声で何かを言っている。そして階段を昇ってきて、「よりぞう」と小さな声で呼ぶ。ことによると真央乃が急な用事で電話をかけてきたのかも知れないと思って、彼は慌てて階段口から出て、危うく母親とぶつかりそうになった。
「お前の彼女だと言ってる人から電話だよ」とやはり小さな声で言う。かなり怪訝そうだ。真央乃が電話をかけたのだとしたら、母はこんな顔をするだろうか?
「名前は何て言ってる?」と宗近も不審に思って訊ねた。
「名前は何回訊ねても言わないんだ。お前、今日、彼女は亡くなったと言って出かけたじゃないか」
「うん、そうさ。でも……」とまで言ったが、今は詳しい説明をしている場合ではない。真央乃だとしたら早く出なければならない。
彼は階段を降りて受話器を取った。
「もしもし」と彼に呼びかける声は、真央乃ではなく冷木静美の声だった。
「何だ、こんな時間に」と宗近は憤懣を込めた呟きを漏らした。大きな声を出すわけにはいかない。
「わたし、いたのよ」つっけんどんな調子で静美が言った。
「いたって、どこにいたんだ?」
「どこにって、あなたが行っていた所よ」
一瞬考えを巡らせて、思わず「あっ」と小さな叫び声をあげた。
「柴根さんのお通夜か?」
「そうよ」
「どこにいたんだ?」
「柴根さんの家に行ったに決まってるじゃないの。わたし、いちおう柴根さんとは同期で一緒に会社に入った仲なのよ」
「そんなこと知ってる。きみはどこにいたんだ? ぼくはきみのことに気づかなかった」
「家に入って、柴根さんのお父さんとお母さんに挨拶をした。お姉さんはいなかったわ。どうしていなかったのかしら」
彼女のその言葉には、嫌な響きが感じられた。薄笑いでもしているような声だった。
「そんなこと、ぼくは知らない」
「あなた、知らないの? おかしいわね。わたし、幻を見たのかしら。あなたとお姉さんが玄関で長いことしゃべっているのを見たんだけど」
宗近は何とも言わなかった。このまま電話を切りたかったが、懸命に我慢をした。
「わたし、ご家族に挨拶をしたから帰るつもりでいたら、あなたが門から入って来たので、慌てて玄関のそばの大きな木の後ろに隠れたの。いきなり現われて驚かしてあげようと思って」と言って、今度は小さな声をあげて笑った。
「すると、わたしが驚かされたわ。あなたとお姉さんが玄関口で親しくしゃべってるじゃないの。まあ、そういうこともあるだろうと思って見ていたら、二人で外に出て、別の入り口から家の中に入った。恐れ入ったわ。あなた、柴根さんのことなんか好きじゃなかったんじゃないの? 本当はお姉さんと付き合っていたのでしょう?」
「付き合ってなんかいない。ぼくはゆりのちゃんと付き合っていたんだ」
「ゆりのちゃんと付き合いながら、別の部屋でゆりのちゃんの実のお姉さんと乳繰り合っていたのね?」
「何てこと言うんだ」
「何てこともないわ。わたしは事実を言っているの。わたし、ずっと木の陰に立って、あなたたちが出て来るのを待った。大分たってから出て来たけれど、あれは完全に乳繰り合った後の恋人どうしの雰囲気だった。どう、これでも否定する?」