心中なんか大嫌い 第八回 | 中川忠の小説です。

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中編小説を掲載しています。方針を変更して、毎日の連載にします。

 それを見て友理乃は「わあ、すごい」と素直に反応してくれた。

「きれいだわ。まるで女の人が描いた絵みたいにロマンチックだわ」

「もっとリアリティのあるものを描かないといけないと人からは言われるんだけど、ぼくはどうしてもこういう絵しか描けないんだ」と宗近は弁解した。

「いいんじゃないですか。宗近さんが描きたいものを描けばいいのです。わたし、絵のことでは全くの素人だけど、好きなものを描かないと描いたって仕方がないように思います」

「描いたって仕方がない、か」と宗近は友理乃の言葉を嚙みしめるように繰り返した。

「なるほどね。絵というのは基本的に仕事じゃないからね。描きたいように描かないと意味がないね。いわばぼくの内面の葛藤を癒すために描くものだからね」

「そんな難しいこと、わたしには分からないけれど」と彼女は言って、さらに

「わたしは好きよ、この絵。大事なのは、好きか嫌いかだと思う。わたしは好き。それで十分だと思う。わたしみたいな素人に好きだと言ってもらっても仕方がないのかな」と呟いて宗近を見た。

「そんなことはない。きみはぼくの大事な彼女だ。その人に好きだと言ってもらったら、苦労して描いた甲斐があるというものだ」と言って、宗近は腰に両手を当てて、自分の描いた絵をじっと見ていた。

 それはあちらこちらに雲が浮いている場面を描いたものだった。雲と雲の間に人が飛んでいる。水色の服を着ている。その雲の群れの果てに一軒の家が建っていて、そこの玄関口で誰かが手を振っている。髭をはやした人だが、年恰好は分からない。彼は空を飛んでいる人のお父さんのつもりで描きたかったのだが、まだそのようには描き切れていない。

「まだ未完成なんですか?」と友理乃が不意に訊ねた。

「うん、一応未完成だ。というよりいつまでも未完成かも知れない。終わったかなと思っても、手を加える所が次々と出てくるんだ。でもそれは楽しい作業だよ」

「いいわね、そんな楽しい作業が家で待っていて。わたしなんか、家に帰ったらご飯を食べて風呂に入って化粧を落として寝るだけの生活よ。疲れてるから、ろくにテレビも観ない。宗近さんはテレビを観るの?」

「部屋にはテレビはない」と言うと、友理乃が見回して、「そうね、ないわ」と言った。

「観たい時は下に降りて観る。でもあまり観ないね。テレビよりも考え事をしている方が楽しい」

「考え事? そんなことしてどうするんですか?」

「どうもしないよ。ただ考え事をするんだ」

「何を考えるの?」

「絵を描いている自分のこと」

「そんなことを考えてどうするんですか? だって実際に毎日絵を描いてらっしゃるじゃないですか」

「もっと素晴らしい絵を描いているんだ。その描いている絵を見たくて考えているんだ。どんな絵を描いているのかなかなか分からなくてね、困っているんだ」

「へえー、宗近さんって面白いことを考えるんですね。わたしも絵を描いてみようかな」

「描いてみればいい。最初はこんな油絵じゃなくて、鉛筆画でもいいから描いてみたらいい。プロみたいなうまい絵を描こうなんて思わないように。そうすれば何でも描けるよ。描けること自体が喜びになれば、それはもう立派なものだ」

「絵のことに関しては雄弁なのね。びっくりしちゃった」

「絵は、ぼくがこうして生きている支えになってくれているんだ。人間、何か支えになってくれるものがないと生きていけない。ぼくの支えは絵さ」

「わたし、支えなんかないわ」と友理乃は不意に大きな声を出した。

「支えなんか必要なの? わたし、そんなこと知らなかった。毎日ご飯が食べられて、お姉さんと一緒にいるだけで満足だった。わたし、おかしいのかしら」

 それを聞いて宗近は笑いながら首をひねった。

「むしろおかしいのはぼくだな。みんな支えなんかなくても、日常を真面目に生きている。支えが必要なぼくこそ、何か欠けているところがあるんだ」

「いえ、宗近さんが欠けているんじゃないと思う。世の中のみんなが欠けているのよ。この四か月ほど働いて、少し分かってきた。みんなお金のことしか考えていない。その癖お金を手に入れても満足しない。もっとお金をくれっていう顔をしている。わたしもそうだけど。だってお給料安いんだもの」と言って友理乃は軽く微笑んだ。