いとしの電話ボックス 第四回 | 中川忠の小説です。

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中編小説を掲載しています。方針を変更して、毎日の連載にします。

 敬介は目を開ける。右脇に人の気配を感じてそちらに目をやる。するとそこに一人の女性が立っていた。まさしく真岩文緒さんの顔がそこにある。服装は部屋着のようなラフな格好なので、会社でいつも見る彼女のイメージとは違う。

「もう受話器は放して下さい」文緒は彼の間近で囁くように言った。その言葉の通り敬介は受話器を電話機にかけようとしたが、手には何も持っていないことに気がついた。そしてここは電話ボックスの中ではないということに、さらに気がついた。

 第一今は昼日中だ。決して夜ではない。そして彼ら二人がいるのは、町ではなく自然の中だった。いわゆるお花畑のような所に二人は立っていた。

「ここはどこなんだろう?」敬介は驚いている。そして文緒に訊ねるように呟いた。

「ここはわたしの空想の中です。あまりにもありきたりなのは、わたしの想像力が乏しいせいです。どうもすみません」

「そんなこと、謝ることじゃない。きみは自分の空想の中に現実に入ることができるのか。凄いなあ。それにぼくも一緒に来ている。きみは一体どんな力を持っているんだ?」

「わたしにはたいした力はない。ただ曾根さんが悩んでいらしたから、それを励まそうとしたら、ここにいたというだけよ」

「これからどうすればいいんだ?」と敬介が訊くと、文緒は、

「わたしたち、これから手をつないで歩くの。こんな想像力の欠如した世界だけど、ここは二人にとって大事な世界なの」と言って、敬介に向かって手を差し出した。彼は彼女の手を握る。そして一面のお花畑に向かって歩き始める。すると不思議なことに、一面に埋め尽くされていたお花畑の中に、一本のしっかりした道が現われる。文緒と敬介はその道を二人手をつないで歩き始めた。

「わたしはこうして外を歩くのが好き。それにここは自然の中だから、もっと好き。曾根さんは外はあまり好きじゃないんでしょう?」と隣から訊ねた。

「好んでは行かないけれど、来てみたらいい気持ちだよ。こんな風に花がいっぱいある風景には来たことがないから、とても感動的だ」

「本当に感動的? わたしに合わせて言っているんじゃないの?」

「いや、決してそうじゃない。ぼくが自然が好きじゃなかったのは、そういう所に来るまでの方法が分からなかったからだよ。色々準備して、本で調べたり人に聞いたりするのにあまり熱心になれなかった。こんなに簡単に連れて来てもらえるのなら、毎日でも来たいよ」

「でもここは本当の自然じゃなくて、あくまでもわたしの空想の中の自然だから、いわば不自然よ。そんな自然でもいいの?」

「きみの空想の中に入れるならば、もっといいよ。きみの内面の中にどっぷりと浸かっているようで、とても気持ちがいい」

「まあ、そんな風に言って下さって嬉しいわ。この道はどこまでも続いているように見えるでしょう。でも突然終わるの。そして一軒の家が現われるの」と景色の説明をする。

「そうなのか」と返事をして、敬介は文緒と手をつなぎながら、一緒に道を進む。そして突然目の前に一軒の家が現われた。文緒の言う通りだ。しかしそれは家というより、掘っ立て小屋のような物だった。

「さあ、着いたわよ」文緒は隣から敬介を見やって告げる。敬介はただ「うん」と答えるより他仕方がない。

「王様、王様」と文緒が二回呼びかける。彼女は確かに王様と言った。彼らが住む日本の国には王様はいないはずだ。王様とは一体どんな人物なんだろう。

 文緒が呼びかけると、掘っ立て小屋の中から「はい」と男の声が返事をする。その人が王様なのだろう。王様ってどんな人なのか、彼にはとても興味があった。

 文緒は掘っ立て小屋の扉を開けた。それはトタン板でできたちゃちなものだった。

 開けた扉の向こうに一人の男が立っていた。上は黒いTシャツを着て、下は膝までの短パンをはいている。顔を見ると、ぼうぼうに髭が生えまくっている。服装があまりにラフ過ぎた。王様に見えるとしたら、そのぼうぼうの髭がそう見せるだけだ。