般若心経 ”五蘊”

日本で一番有名なお経が「般若心経」です

その中で一番大切な箇所を”五蘊”(ゴウン)と云います

 




般若心経では

僕らの想いと心と世界で

現れて来る世界の

相互循環システムがあるよ

っていうふうにいいます

これを発見した人は

もの凄く偉い人だと思います

もちろんインドの人だったと思います

それで

”五蘊”ってなにかというと

5つのセンターという意味です

5つのセンターとは

色蘊(しきうん) 受蘊 (じゅうん) 想蘊 (そううん) 行蘊 (ぎょううん) 識蘊(しきうん)

と言います。

 

この5つのセンター”五蘊”について

立花大敬先生のお話を文字にしてみました。

 

日本で最も知られている

般若心経の理解の一助になれば幸いです。

僕たちの命の本質は光キラキラです

で、

それだけでは面白くなかったんですね

光だけでは


無色の同じ光のままは嫌だ

もうちょっと なんか

違った状態になりたいと思って


遊びたいと思ったのでしょうね

だからまず心を作ったんです


で、心が中間者になります

そして心が


(今の人は知らないかもしれないけど)

幻灯機とかいうのがあって

フィルムの上に

いろんな映像が描かれていたら

それに光が当たって

スクリーンにその映像が映ります



そんなふうな形で

スクリーンに当たるのが

現実世界

この現実世界は

時間と空間で出来たスクリーンです


そういうスクリーン上に

映像が映りますよ

心に描かれた想いとか

イメージとかが

現実世界のスクリーンの上に

映りますよ



それで


映った映像の事を

仏教では色と書いて


「色」といいます

いろんな色があるから


いろいろだから色といいます

それを僕たちは感受します


受け取ります


受け取るのは目だけでは無くて

肌から耳から匂いとかから

全部含めて受け取ります

その受け取りが「受」といいます


その受け取った印象・情報について

色々思います


 人によっては嫌な現象だったら

 グルグルグルグル頭の中で

 想い描く人がおりますよね

 頭が煮詰まってしまいました

 とか云う人がおりますよね


これは「想」といいます

それで

これ一回だけ思う程度だったら

全然問題ないんですけど

何回も何回もしつこく

思い返したことは



※心に書き込まれてしまいます



で‥

書き込む事を

ここで「行」といっています

それで

心に書き込まれた印象とか言葉とか

イメージとかいうものに光が当たり

命の本質に光が当たり

それを時間と空間のドラマに

変換します


これを「識」


ごんべんのしるすという意味で

こうしてドラマを作ります

だから嫌な人っていう想いを


繰り返した人は

嫌な人になるような

それがゴールになるような

時間と空間のドラマを


スクリーンに想い描いてしまいます

だからこの「識」というのは

シナリオライターです


ゴールはもう決まっているんです

嫌な人ですね


ね!


そして、これを織り込み

ごんべんにオリモノ(織物)のオリ(織)と書いて

この「識」だそうです


だから、言葉で織物を織るわけですよね

そういう働きを

心さんがやっぱりやるわけですね


そうして今度「色」になりますよね

そうするとその光景が現れますよね

光景をまた受け取りますよね


受け取ってまた想いますよね

想ったらまたそれを

書き込みますよね心に


そうしたらまたそれが

シナリオになりますよね

そうしてグルグルグルグル


循環しますよ


‥と、言っているんですね

‥で、その循環にかかる時間が

1刹那といいます


刹那というのは

1/75秒程度だそうです

だから世界は実は


刹那消滅と仏教ではいってね

一瞬一瞬1/75秒ごとに

世界は切れているわけです



全然続いていないんです

全然続いてないのに

なんか、世界が続いているように

僕らはそう思いますよね


たとえば嫌な人はずっと嫌ですよね

早く消えたらいいのにと思っても

やっぱり消えませんよね


ずっと続いていますよね

これは、どうしてでしょう?

1/75秒で消えてもいいのに


それはなんでかというと

再生産しているわけですね


だから


心に嫌な人を書き込んだ

それがドラマの形で

スクリーンの上に


また嫌な人をゴールにするような

事件が起こる

それを受け取った僕たちが


また


やっぱり嫌な人だ!

もっと前よりも

嫌な人二乗ほどになって


それを思いますよね

思ったことをまた心に

書き込みますよね


心に書きこんだらまた光が当たって

また嫌な人の二乗になった

それをゴールにするようなドラマが


またスクリーンの上に展開しますよね

そうしてグルグルグルグルうずまき循環するから

いつまでたっても


その世界が消えないわけですよね

こういうのを悪循環といいます

悪循環だけだったらいいけど


拡大再生産して悪循環になっていく場合も

ありますよね


‥で、


え~


ところが般若心経ではそうだけど

「ポイント経文」

と、書いているのですけど

「五蘊皆空」(ごうんかいくう)といって

この循環サイクルうずまき

別に固定的なものじゃないよ!

だから

悪循環を善循環に変える事も可能なんだよキラキラ

って、教えてくれています


たとえば


どんなふうにしたら良いかと云うと


受け取り方を変える

なんか、嫌な人だけど

あの人にもこんな良いところが

あるじゃないの!というふうに


受け取り方を変えると

それを心に書き込むと

嫌な人だけど


ちょっと良いところもある人

というゴールにするような

ドラマがもう一回


スクリーン上で展開して

やっぱり嫌な人だけど

ちょっといいとこもある人やな


‥と、もうちょっと大きくして

もう一回思うと

グルグルグルグルうずまき回っていくうちに


だんだん嫌な人が

良い人に変わって行くって

いうことがあるかもしれないですね


そういうのを善循環キラキラ

こういうことも

「五蘊皆空」(ごうんかいくう)五蘊というのは

本当は固定的なものではないよ

「受」を変えたら良いんだよ!!

もう1つ面白いのは

「想」を変えてもいいんですよねニコニコ

だから息子が不登校で


結構、禅の会に来られる人で

相談される人が多いんですけど

そういう人に対してですね


あるカウンセラーさん

すごく優秀なカウンセラーさんが

された方法で


相談に来られたお母さんに

おっしゃった方法というのが

なかなか面白くてですねウインク

カウンセラー「お母さん、僕は凄く良い方法を知ってるんだけど

私のやり方に従ってくれますか」


お母さん「はい、ぜひ聞かせてください!やりますから」


カウンセラー「じゃあ、お母さんね

あなた髪ボサボサですよ!心配で心配で髪がボサボサですから

とりあえず、まず、帰りに美容室に寄って髪を整えてください」

「そして次にお母さんがすごく好きな服を1着買って帰りなさい」



そんなふうな指導をしたらしいです


そして次に来た時に


「先生、不登校なおりました ありがとうございました」

それで、なんでなおったのか?というと

「想」を変えたんですね


だから氣をそらしただけなんです

息子のことが心配で心配で

ずっと想いは


そこにしか

そこにへばり付いてしまって

そこから離れられなくてなっているんだから


氣をそらせたらいいんですよね

だから、そういうふうにして

スッと別の方向に

意識がいくようにしてあげると

もう次 「想」がないと


その心に書き込む鉛筆がないでしょう

だからもう次の世界には

その不登校の息子を心配っていうのが


書き込まれなくなるから

次の世界では

息子さんは学校に行くわけですよね


そんなふうに氣をそらせる

受け取り方を変える

いろんな方法がありますけど

そうして「五蘊皆空」だから

なんとでも変えられますよ


‥と


そういうふうなことを

知っておきなさいと

般若心経はいっているわけです


以上

大敬先生のお話でしたニコニコ

 

このことを理解していると

世の中の見方がちょっと変わって来ますよ

 

私はツイている!

 

‥と、思っている人は

 

なるほど!

 

ツイている!自分の人生をスクリーンに映し出しているな!!

 

という事が

 

人によってはジワジワと走る人

 

人によってはパーン!キラキラ

 

‥と、

 

分かって来ます

 

 

僕はドッグトレーナーをしているので犬

 

犬を見ていても同じですニコニコ

 

臆病で怖がりのワンちゃんを散歩に連れ出すと

通りすがりの人が怖い

通りすがりの自転車が怖い

通りすがりの車が怖い

散歩は怖いものだと循環サイクルが回り出します

 

でも

 

明るくフレンドリーなワンちゃんを散歩に連れ出すと

通りすがりの人が嬉しいニコニコ

通りすがりの自転車が嬉しいニコニコ

通りすがりの車が嬉しいニコニコ

散歩は楽しいものだと循環サンクルが回り出しますキラキラ

 

犬ですと精神活動や生活様式が人間よりも単純なので

とても分かりやすく”五蘊”を体現してくれますウインク

 

一番メジャーなお経

 

般若心経

 

の理解に少しはお役に立てたでしょうか?