次男くんがまだ赤ちゃんだった頃。


見知らぬおばあさんが話しかけてきたことがあります。


「あらー、かわいい!!かわいい子ねぇ!」


にこにこ笑って近づいてきたそのおばあさんはとても優しそうで、そのとききっと誰かと話すことに飢えていたわたしは、つい立ちどまりました。


「お顔まるんまるね!マルコメくんみたい、ほんとにかわいいわぁ!」


何度も次男くんにかわいいと言ってくれる彼女の態度が一変したのは、母乳か否かになったときでした。


わたしは母乳が出ず、長男くんも次男くんもミルクで育てていました。


それを知るや彼女は


「まさか帝王切開?」


そう聞いてきたので、正直にそうですと答えると、笑顔は一気に曇り


「だからダメなのよ」と。


「いまの若いひとはやっぱりダメね」

「すぐにラクなほうを選択するんだから」

「痛みを経験しないからダメなのよ」

「痛みを経験しないと母性が育たないの」

「母性が全然育っていないのね」

「母性がないから母乳も出ないのよ」


もう十数年以上も前の話。


だけどいまでも、忘れることのできない苦い会話。


当時は彼女になにも言い返せなかったけれど、あとから何度も何度も、記憶のなかの彼女にぶつけた言葉。


「好きで帝王切開をしたわけじゃない」

「帝王切開をしないとこの子達に会えなかった」

「帝王切開だってめちゃくちゃ痛い」

「息子たちを愛おしいと思うこの気持ちは?」

「母性ってなーに?」


そう思う一方で、彼女の言葉を全て吸収してしまい、何もかも自分のせいだと思うときも確実にあって、ほんとうに苦しかった。


その苦しさが、この本を読むとまざまざと蘇ります。


だけど、泣きながら読んだこの本には、希望が残されていました。


どうか、誰も、誰かを傷つけることがありませんように。


意図せず誰かを傷つけているひとも、その「決めつけ」から解放されますように。