父が神職であるわたしにとって、

物心ついた頃には既に神様を慕っていました。


神様はいつも身近にいて、

わたし達を見守ってくださる存在でした。


だからなのか「神の声が聞きたい」と、熱望する主人公の気持ちが、分からないでもありません。


彼は牧師の息子として生まれてきたので、宗教の違いはあれど、育った環境も少々似ています。


だからこそ、どうして彼はこうなってしまったのかと、純粋な故の暴走なのだろうかと、自分を納得させようとするものの、悔しくてたまりません。


苦しみから解放するという名目の上、神の御許に行けるのだからという名目の上、していることは、ただの殺人です。


あなたたちは、親子そろってただの人殺しだと、あなたたちには神様の教えを説く権利はないと、糾弾したくなります。


このひとたちが、神様に仕える立場にあったなんてと、悲しくてたまりません。


何より許せないのは、この殺人が正しいと、神様という存在を隠れ蓑として、神様を利用しているように見えるところなのです。


神様の元にいながら、救われることのなかったこの親子が、哀れでなりません。


されど神様は、こんなに愚かな人間たちでも、見捨てることはないのでしょう。


なるほどそう考えていけば、神様は確かに、ふたつの顔を持っているのかもしれません。


ときに残酷で、慈愛に溢れる神様。


その存在にいつも救われているということを、忘れては生きていけないのが、人間なのだと思います。