いろいろな嘘がある。


家族に心配かけない為、お金の為、人を傷つけない為、自分の為。


ほんとうに、いろいろな嘘がある。


嘘がバレる恐怖と戦いながら、それでも人間は嘘をつく。


なんでだろうね。


読んでいて思わず泣いてしまったのは、詐欺にあった母親のお話。


  ここから先ネタバレになります!


我が子の受験を応援する母親が、子供のことを思うあまり、学校に100万円を払ってしまう。


子供の実力を信じていないわけではない、ただ、安心材料として、万全の体制で、受験に臨みたかっただけ。


自分にそんな言い訳をしながら。


晴れて子供は無事に合格するのだけれど、実はこの100万円、学校は何の関与もしておらず、従って学校には一切支払われておらず、ただの詐欺。


この話を持ちかけて来たひとは既に所在不明。


意を決して夫に打ち明けるも、お金を払っていたことを知らなかった彼からは「愚かだ」と罵られただけ。


でも彼女はどうすればよかったのか。


力になって欲しいとき、きちんと話を聞いて欲しいとき、不安でしょうがないとき。


そんなときにいつも側にいて支えてくれたひとは、夫ではなく、この話を持ちかけてきたひと。


いつも力になってくれたひとだったからこそ、彼女は信頼しきっていたのに。


信頼していたひとは、ただの嘘つきでただの詐欺師。


彼女はきっとものすごく傷ついたでしょう?


そんな彼女を心配することもなく、今回も支えることはなく、蔑むだけの夫。


そんな彼に、彼女を責める権利が果たしてあるのか。


こんなに一生懸命がんばっているのに万が一落ちたら、この子は傷ついてしまう、この子に悲しい思いをさせたくない、そんな母心を理解できるのは、わたしが母親だからだろうか。


だからといって、まるで不正のようなことをしてしまった彼女を全肯定するわけではないのだけれど、なにかに縋る気持ちを、夫が否定するのはおかしい。


大切なことは、なにもかも妻任せだったくせに。


あなたが彼女の縋る先になればよかったのに。


悔しくて泣きたくなる。


彼女は正直に子供にも打ち明けるのだけれど、意外に子供はあっけらかんとしていて、寧ろ喜んでくれたのが救い。


自分が実力で受かっていることと、母親が「自分のために」大金を出してくれたことが嬉しいと言う彼に、わたしはまたもや、うわぁーんと泣きそうになる。


我が家でもその傾向があるのだけれど、一般的に兄弟って、お兄ちゃんからみたから「弟のほうを可愛がってる」って見えるし、弟からみたら「お兄ちゃんばっかり大事にしてる」って見えるみたい。


母親(もちろん父親も)は、兄弟に平等に愛情を注いでいるつもりだけど。


「母さん、オレのこと、ちゃんとかわいかったんだなって」


と言う小説のなかの彼がいじらしすぎて、母親であるわたしは、小説のなかの彼女と共に、当たり前じゃん!!と叫びたくなる。


その彼が後押しをしてくれて、彼女は裁判で証言しようと決意をするところでお話は終わり。


だけど彼女の夫は、彼女を支えることは決してなく、「これ以上被害者が増えないように」と訴訟を起こす人々に加わろうとする彼女を、再び見下すのだろうな。