毎度暴風雨で止まりがちの武蔵野線。
暇なので携帯から日記を書いている。
超長大作になるので、
心して読んで欲しい。

かの有名なUSK.WのSM理論を紐解く。
笑いナシのアカデミックな作品である。


突然だが、この世にはSとMが存在する。
全てのオスとメスはSとMに分けられることは、
自明の理である。

「私は両方イケるわ。」
「俺はどっちも好きだ。」

などと宣う輩もいることだろう。
しかし、それは正しくない。
自分の本質に気付いていないのだ。

自分で自分の事が理解出来ていない事など有り得るのか。

答えはYESだ。
SとMの分類に関して言えば、
それは至極当然のことであると言える。

何故か。

それは、SとMは紙一重の立場だからである。
もちろん、この事実を疑問に思う方も多々いるであろう。
SとMは対極であるという考え方が
ごく一般的であることは私も理解している。
しかし、事実はそうではない。


結論から先に述べよう。

SとMは感情の変化が起きるオブジェクトが
自分にあるか、それとも相手にあるかで区別される。
これは素人では判断しにくい事実なので、
自分がSかMかを誤解して理解している人もいるであろう。

どういうことか。
分かりやすいように例を挙げて説明していく。


まず誰もがSMと聞いて容易に想像する、
女王様と奴隷で例示する。

奴隷役は簡単だ。
自分の体が傷つけられる事によって、
エクスタシーを感じる。
恐らくは痛みを愛情と感じるシステムでも存在するのであろう。
そのメカニズムについては私には理解できないし、
ここで言及するつもりもない。

自分に「痛い」という感情が発生して喜ぶ。
まさにM。

それに対して女王様はどうか。
奴隷とは違い、相手が痛がっているのを見て喜ぶ。
もしくは奴隷が喜んでいるのを見て喜ぶ。
決して痛みを与えている行為自体に、
喜びを覚えているのではない。

痛みを与えてスカッとする、または
気分が晴れるという人は本質はMなのだ。

なぜなら特に悩みがなかったり、
奴隷が嫌悪感を抱けない存在であったなら、
恐らくはその人は鞭を振らないからである。


まだ納得のいかない人にはSM診断占いを例示しよう。
こんな心理テストを知っているだろうか。

右手の拳を縦にして相手の喉元に突き出し、
顎を乗せてもらう。
その時の相手の様子でSかMか分かるというものだ。

顎を乗せたときに相手の目を見た人はSで、
顎を乗せたときに相手の目を見なかったらMである。
ちなみに顎を乗せる事を拒否するのもSだ。

これを説明していく。
まず顎を乗せたとき相手の目を見るという行為、
これは顎を乗せた事により、
相手にはどんな感情の変化が生まれているのか、
興味が溢れている事の表れなのである。

逆に相手の目を見ない行為、
これは顎を乗せた事による結果に対する
ドキドキや不安を自分自身で楽しんでいる事の表れである。

そして顔を乗せる事を拒否する行為だが、
もはやこれは説明する必要もないだろう。


最後に恋愛の1シーンを用いて例示して締め括ろう。

恋人とプレゼントをやりとりする場面を想像してほしい。

どちかといえば、
相手にプレゼントをあげることに喜びを覚えるのはSで、
相手からプレゼントをもらうことに喜びを覚えるのはMである。

愛情やお金が関与してくるので、
両方に喜びを覚えるという人もいるだろう。

しかしプレゼントを貰う事よりも
プレゼントを与える事の方が喜びを覚えるのは、
紛れも無いSの素質である。

モノを与えて悦楽を覚えるS。
モノを与えられて悦楽を覚えるM。


ここまで説明してくれば、
皆さんにも伝わったと信じている。


何が言いたいのか疑問に思ってる人が多いと思うので、
本題に入る。


今日はバレンタイン。
チョコをあげたり、
あげなかったりする日。


この世に生まれ、物心がついてから久しぶりの


0個。


悲しくなんてない。
だって俺はSの中のS。

「極S」だから。

強がりなんかじゃない。

それよりもホワイトデーにお返しできなくて残念。
強がりではない。
いや、マジで。

でもまだ今日は終わってないか。

まだ負けてない。
勝ちへの途中。

これは未練じゃない。
強がりでもない。

いや、マジで。