秋の気配を探す | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

立秋です。

まだまだ暑い日が続きますが、暦の上では今日から秋。

この「秋」はもはや概念としての秋なんだろうなあと思うわけです。

旧暦の7月4日、新暦では8月7日、夏休み、夏の真っ盛りであります。

ましてや近年はとてつもない猛暑が続き、気温だけで見たらとうてい「秋」なんて言えないと思うのも無理はありません。

でも、気温だけで季節を決めるのもちょっと違うなあと思うんですよ。

季節はたぶん、日照時間で変わっていく。

夏至を過ぎたあたりから、少しずつ日が短くなっています。日没の時間が1分ずつ遅くなってたりするんですよ。自然の中の1分はなかなか体感できませんが、数日かけて気を付けてみると、明らかに日が落ちるのが早くなっている。

ちょっと前までは、19時ごろなんてまだまだ昼間の気配が濃厚でした。でも今は、ちょっと陰りが感じられるようになってきています。

朝だってそう。少しずつ、本当に少しずつ日の出が遅くなっているのです。

こうやって季節は変わっていく。

だから、立秋を過ぎたらあちこちに秋の気配を探すのがいいんじゃないかと思うんですね。

しばらくは夏と秋が同居しているので、夏の熱風と日差しを浴びつつも、空の色に秋を感じたり、ふいに吹く風の中に秋の気配を感じたり、日没後の空の色の変化を楽しみたいと思います。

24日25日には、清水マリナートにて「SAVE2024」の公演があります。

この公演が終わったら夏が終わるんだなあと思うと感慨深いものがあります。

 

大人数の公演には実にさまざまな問題が発生します。

というかね、つくづく人間って群れるとトラブルが発生するんだなと痛感しています。

ほんとに一人一人が違っていて、同じ出来事に対しても思うことは違っていて、対応の仕方も違っていて、受け止め方も違っている。コミュニケーションの取り方も人それぞれ。

だからこそ行き違いも生まれるわけです。「ちゃんと話せばいい」と言うけれども、その「ちゃんと」の度合いが人によって違うわけですよ。このくらいでいい、と思う人と、それじゃ足りないって思う人がいるわけで。

他人の言動が我慢ならないと思ってしまうこともあるし、お互いに余裕がなくなってつい言葉がきつくなってしまったり、そのせいで反目してしまったり。

人の世から争いがなくならないのは、もはや人類のデフォルトなのではないかと思います。

それを乗り越える知恵もないわけじゃないんですけどね。

そんなふうに、ぎくしゃく、ドタバタしながら進んでいくしかないのでしょう。

なんとか無事に終演してよかったねと喜ぶ人の横に、「そんなに手放しで喜んでていいのかね」とシニカルに構える人がいたりするものなのです。

清濁併せ呑むってこういうときにも使えるんじゃないかなと思ったりします。喜びも怒りも皮肉も冷笑も、全部全部ひっくるめて受け止めていくしかないのでしょうね。