自分で思うことは、他者も思うのかどうかわからない。
なので、自分では面白いと思うことを話すのを躊躇われる。
逆に他者が話していることに対して、全然興味が湧かないことがある。
ふんふんと相手が話す時間が過ぎるのを待つ。
これは、明らかにダメなんじゃないか?わたし。
コミュニケーションの取り方を一から学びなおさなければならない面部脫毛

自分も他者も共通の関心事をシェアすべき。
共通点が無いなら、、、、うーーん、、、
どちらが悪いというものでもなく、一人一人は別のものなので当たり前。
歩み寄るにしても関心事自体が重ならないなら、どうしようもない。

なので、関心あることはブログやインターネットや著書などで一方的に話を仕入れることになる。
だが、個人的に自分にだけしか興味がない自分の世界。
やはり、これは、わたしは重大なコミュニケーション能力の欠如なのではないだろうか。
反省するなら、改善すべき。
しかし、どうやって?

ねえねえ、わたしが興味あることをあなた(たち)も興味を持ってちょうだい!と、積極的に働きかけなければならないのか。
社会運動だとか、草の根活動だとかならわかるが。
別にそんな信念や思想や理想に基づくものでも何でもない、ごくごく普通の日常の事柄。
うーーん、、、やっぱりコミュニケーション能力に問題があるのか脫毛 邊間好
(だが、推しファンクラブだとかなら、会員メンバーとは興味も温度も同じだ)

しかし、問題は別のところにある。
わたし自身が別に嘆いているわけでも悲しんでいるわけでもなく、にこにこ静かな落ち着いた佇まい。
問題視していないことが問題なのか??

友達がいないようで、いるようで、いないようで、いるようで、、、
友達の定義を広くするか、狭くするかで違ってくる。
出会って5分で友人になることを特技としている人がいて、友達は増え続けているようだ。
人数には制限はなく、ものすごいキャパシティ、包容力なのだろうけれど、相互関係維持を追求すると、友達がそんなに多いのはどうやってコミュニケートするのか?
グループラインで一斉に?だとか、フォロワーたくさん、だとか?
一方通行っぽいと感じる。

幸福論を唱える、あるブロガーさんは、オススメ(他者の)著書の中で、群れる人の特徴を述べて、一長一短あることを説明していた。
メリットとデメリットがあり、どちらを採択するかは、個人の自由。

ということを色々考えると、、、
自分が迷っている案件を人には相談できないが、話題にしていたり、他人の話を聞いたりして、ヒントを得ることがある。
最終的に決めるのは自分。
わたしの場合、悩みの中身を他人に打ち明けるのは抵抗があるので、自分で悩んで自分で決める膠原自生
信頼できる友人に相談し、お互いの絆を深めていくのが、オススメの正しい進め方なんだろうけれど。
仮に友人がいたとして、その人がアドバイスしてくれたとして、あるいは専門家に相談したとして、その答えを原案に修正していくのが良いのだろう。

が、、、迷ったところで決めるのは自分。
誰がなんと言おうと、最終的に決めるのは自分。