最近、物忘れがヒドいのでblog書きます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
元々そそっかしい人間であるし、幼い頃から「落ち着きがない」「注意力が欠如している」と言われていたうえに、
自分の中ではそれに加えて忘れっぽい方ではあるな、と思ってはいたんだけども、ここのところそれに輪をかけて物忘れが激しくなってきている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
或る日、出掛ける前に汗を流したいと思いシャワーを浴びようした。
私の入浴の前の工程として大まかに言うと、着替えの目星をつけ、バスタオルやタオルの準備をして、洋服を脱ぎ、浴室に入る。そしてシャワーを浴びる。
もうこんなことは朝飯前だ。何も考えなくても出来る。いちいち「まずTシャツを脱いで…左手を抜いて…右手をまくってから右手も抜いて…Tシャツの裾を持ち頭の方に引き上げて…」「浴室に入る為に右足を半歩前に出して、左足で段差を跨いで、そしたら右足を今度は10cmほど上に上げつつ同様に段差を乗り越えて…途中で呼吸をすることを忘れないようにして…」などと考える訳もない。
何故ならわたしは今までの人生でそれはもう幾度となく、生を受けた日数と凡そ同じ数ほどの入浴を体験しているのだから。呼吸に関しては、考えたら駄目だ。考え出すと、それまでの自然な行為がゲシュタルト崩壊を引き起こし、困難な状況を引き起こす。
服を脱ぐという動作に至っては目を瞑っていても出来るのが当然といった状況で、自分の服を脱ぐにおいては最早今の私は人の手をはばかることも無く、自分に於いて服を脱ぐという動作に関しては自分自身が他の追随を許さないと思っているし、その後のシャワーにおいては「う〜ん ヴィダルサッスーン…!」なんて鼻歌交じりに唱えてしまうくらいの熟練ぶり。
 
 
 
そういったわけで、この日も私は「シャワー浴びていくか」くらいの軽い思いつきで、浴室へとこの足を運んだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
なのに、だ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
いつもの手順を経て、懐疑の念など微塵も持たずに私はシャワーを全身に浴びた。
「う〜ん ヴィダルサッスーン」ならば「う〜ん ヴィ」までは完全に口内で唱えていた。
 
なのにだ。
 
全身に浴びて、何かえもいわれぬ不快感を感じ、ハッと眼を見開くと、なんと、洋服を着たままだったのである。
 
 
 
ヴィダルサスーンもクソも無い。
それどころじゃない。
華麗な手さばきで脱いだはずの洋服はどこへ?
華麗な手さばきで脱いだはずの洋服は何故ここへ?
華麗な手さばきで脱いだはずの洋服では?
華麗な手さばきで脱ぐとは?
華麗な手さばきとは?
そもそも華麗とは????
 
 
 
一気に自分の中の既存の概念が崩壊してゆく音がした。
それとともに、身体に浴び続けている流れ続けるシャワーの流水が、真水であることに気付いた。
 
 
 
華麗な手さばきでシャワーのコックをひねり温水が出るはずでは?
華麗な手さばきでシャワーのコックをひねったはずでは?
華麗な手さばきでシャワーのはずでは?
華麗な手さばきのはずでは?
華麗とは?
そもそも、華麗とは?????????????
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
忘れていたのである。
洋服を脱ぐことも、温水を出すことも、全てを忘れていたのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
また或る時は、出かけようとし玄関で靴を履いてドアノブに手をかける前、
身だしなみは大丈夫か、と玄関前の姿見で全身をうつしだした際である。
そこに写る女、つまり己が下半身に「ズボン」または「スカート」なるものを装着していないことに気づいた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
忘れていたのである。
ズボン、またはスカートなるものを装着することを、すっかり失念していたのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
奇しくも時期はトレンカが流行をしていた時期、
私も例に外れずトレンカなる踵の出る下半身タイツを装着していたもので、何とか直接的な猥褻物陳列罪は免れたものの、
顔面には色とりどりの化粧なる工事、上半身にはシャツ、セーター、ジャケットを着込んでいたわけであり、そこからなる、下半身のトレンカ。
むしろ、トレンカのみ。
その姿は最早「もしも江頭2:50が結婚式に着る洋服を選んだなら」そのものであった。
もしもシリーズですら盛大にスベるであろう、この危機感。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
以上に挙げた二例はその背景などもあり、私の中で「いよいよか」と覚悟を決めた瞬間の代表的な二例にすぎず、
洗濯物を廻したつもりが電源ボタンを入れずに廻っていなかった、フライパンで調理をしようと油をしいて火をつけていたつもりが全く火をつけていないまま数十分が経過していた、あまつさえ、その調理をしようと思っていたものは何だったか忘れる始末。ライブハウスで飲酒をした状態で聞いた人の名前が何度聞いても覚えられず、普通に会話はできている(と思いたい)ものの、名前だけを何度も何度も聞きなおしてしまう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
忘れっぽい。非常に、忘れっぽい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
このままではいつか私も、認知症になってしまうのではないか。
認知症どころか、若年性認知症を発症し、家族や身の回りの人をどん底と困惑の底へ突き落とすのではないか。
家族の名前を忘れ、自分の愛した人の名前も顔も忘れ、自分の名前すらも忘れ、
いつか忘れたことすらも忘れてしまうのではないか。

そんな不安が錯綜する中、逆に思ったことは、覚えていられる事象自体が奇跡なのではないかということだ。
それほどのインパクト。それほどの印象。それほどの思いの強さ。
いや、最早これはそう言った一時的なものではなく、何か自分のシンパシーやイデオロギーと密接な関係のある何かなのかもしれない。


ずっと前から知っていたような、生まれる前から分かっていたような、そんな奇跡的な体験が結びついた瞬間が私の中で現世での記憶として留められているだけであって、実際私という単位では線にも点にもならぬようなことがたまたま幾千万分の一の確率として、そして轍として築きあげられただけのことに過ぎぬだけであり、つまりそれはまるで前世からのメタファーをもってあksデャkxc亜kんxっbkcヴァxkjhヴァkxcヴァxんヴァxcヴァkxvかxbvかjxはhxヴァhxvlhzlxhヴァxんcxgcふrがdげrグヤタfgっhdッッヘヘッヘッヘッッヘッヘッヘッへヘッヘッヘッッッッッッッッへへへへへへへへへへへへへっへっへへへ太陽フレア
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 















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明日というか、日付変わって今日はライブなので、ライブの予定だけは忘れないように生きたいと思います。











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忘れっぽいのもありますが、単純にツメが甘いっていう可能性が濃厚なワケでして、















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かのように隙のない空を見ては、己の只ひたすらに繰り出している無駄さに、涙するのであります。
それは言うなれば、先日と本日のblogの締めくくり方が同じ方式である、ということについてなどです。













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もう一回いうけど、日付変わって今日ね!
9/13は越谷EasyGoingsに集合ねー!!!!