<自己紹介>
私 :りり
関東出身
京都市在住30代半ば
不妊治療のクリニックに通い
タイミング法で娘を授かる
早産 低出生体重児で出産
早生まれの2歳児ママ : 娘は元気
元 パートの看護師
バセドウ病あり。
2020.03 乳がん告知。
ルミナルB HER2 タイプ
(トリプルポジティブ)
PETCT・MRI上、腋窩リンパ節転移あり
2020.04
術前化学療法 開始 1/3w×4
TC療法+ハーセプチン・パージェタ
OPE予定
術後化学療法予定
<術前化学療法>
3週間おきに4クール予定
パージェタ・ハーセプチン
+
TC療法
また日付変わってしまった💦
夜中だけど、目が覚めたので
書きます
※痛みのあまり起きたのとは、
どうやら違いそうで
自分自身がホッとした
4月7日
痛みに耐えて迎えた朝
鎮痛剤の効果で少し楽になる
瞬間があって
そんな合間にうとうとする程度で
朝を迎えた
暗闇で痛みに耐えるのは
いやで結局
朝まで電気をつけたまま
仕事に起きてきた夫も
心配そうに声をかけて
出勤していき
母は、私の痛みの戦いを知ると
なぜ起こさなかったのか?
1人は辛かったはず
1人で耐えてたなんて
しのびないと言った。
りりは、そういうところ
悪いなあと思って
1人で耐えるところがある。
といった。
この時
痛みはすっかりぶり返し
内服できるまで
数時間
保育園の登園準備はできそうもない
母に背中や腰を
さすってもらいながら
準備を助けて欲しいこと
解熱鎮痛剤が終わるけど
この痛みでは恐怖だから
病院連れて行って欲しいと
お願いした
娘は、機嫌よく起床
ご飯も準備も終えて
今日の送迎をしてくれるべく
夫も帰ってきた
察した娘は、私の手を引き
奥の部屋へ
ままー、いっちょ ねんねー
〇〇ちゃん、 ちないー
ちぇんちぇー ない
ねむいー ねんね 行こうよ
空気を察して大号泣
もともと
今日も保育園に行くこと
ママは、病院へ行くことなど
伝えてはあったけど
もう一度伝えて
帰ってきたら
いっぱいギュってしよう
ママは、
痛い痛い治してこなきゃ
先生もお友だちも
待ってるよ〜 いいな〜
ほら、タオル貸してあげる
ミニタオルを渡すと
泣き崩れた顔を拭いて
また少し泣き
私にはりついて
ちぇんちぇー
と一言言った。
娘なりの決意だろうと思う
まだ泣きながら
上着を着て
母に靴を手伝ってもらい
夫と保育園へ行った
結局送ってやることも
準備すらまともにできない
せつないなー
内服して
痛みが若干ましになり
ささっと
母と準備して
私は病院へ
痛みがマシとはいえ
痛いと辛くて
イライラする
なんとか予約外の枠で
入れてもらい 待合室へ
すっかり顔見りの
担当看護師さんが
心配そうに声をかけてきた
腰や背中や筋肉の痛みが
辛すぎて…
もらってた鎮痛剤
終わってしまったので
と伝えた
おかげで診察はスムース
今日はベテランDr👨⚕️
相手にされなかったらどうしよう
気にしすぎって言われたら
という心配は、杞憂に終わった
Dr曰く
私はおそらくジーラスタ💉に
身体が反応しやすいのだろう
ジーラスタの副作用が出やすい
体質が考えられる
とのことだった
看護師さんも
抗がん剤の副作用が
なんとなりそうって言ってた後だけに
辛かったね
きてくれてよかったよ
と
抗がん剤もその人ごとで違う
抗がん剤もジーラスタも
人によってどんな症状が
いつ出始めて、どれくらいキツいか
Drや看護師にも分からない
来て言ってくれてわかる
次から備えることが出来るから
また週末にCVポートに
気をつけてきてね
腰とか痛い時は 休んでね
いつもフォローしてくれる
乳腺外科担当看護師さん
結局
・解熱鎮痛剤10回分
・整腸剤
・下痢止め
辛い時用
・お尻に塗る薬
ポステリザン
と、
欲しかった薬を手に入れて
安心した
痛みは相変わらずのような
夜中より若干マシなような
感じで経過
娘が帰宅後は
痛みのマシな時に
ゆっくりだけど
娘・母と共に
日課の散歩も行った
やはり粘膜は、
ダメージを受けてる様で
もともと強くないけど
白目も赤くなってて
コンタクトもやめてる
鼻の中の粘膜も
夜中に触ってた様で
ずっと血だらけで
ガサゴソする
口も乾いてる感じ
味覚も相変わらずで
口内炎もできそうな感じ
下痢もあり
お尻もずっと痛い
でもとにかく
背中 腰の痛みと
筋肉痛が楽になったら
辛さが違うはず
夜、鎮痛剤を内服して就寝
気付いたら数時間寝れた
0:30
やはり目が覚めてしまった
痛みはあるけど
昨日の疼く程の痛みではない
悪化が怖くて
また1人リビングへ…
どうか 副作用が
もう悪化しません様に
読んでいただき
ありがとうございます