【ミケランジェロの初期の記念すべき作品】
1543年は、コペルニクスが地動説をのべた『天球の回転について』を出版した、時代が変わった‘驚異の年’である。
しかし、一方で同じ年に違う分野で同じように時代を変えた著作が書かれている。
それはヴェサリウスが出した『ファブリカ(人体の構造)』という解剖書である。
なぜ解剖書が時代を変えたのかというと、それは今までの解剖に関する著作はほとんど自分で解剖することなく、ギリシア時代のアリストテレスや紀元後2世紀のガレノスの著作を引用や参考にしながら、伝聞をまとめたり、人体を解釈することがメインで、細かい部分まで自分で解剖しながら観察するということはしておらず、人体の理解の方法論を解釈中心から観察中心へとパラダイムの変換を行ったのだ。
つまり、1475年に生まれたミケランジェロの作品は旧時代のガレノスなどの考え方を継承しているのだ。そのため、現在の常識で考える体の構造や理解と、ミケランジェロの時代の体の構造や理解の常識は差違があるのだ。例えば、今は生命の活動を支えているのは心臓だが、ガレノスの時代の考え方では肝臓が生命の活動を支えていると考えられていた。そのため、ミケランジェロの時代くらいまでのイエスが磔で処刑される際に致命傷をおった刺し傷は右側の胸に刺さっている。これは肝臓を狙っているのだ。
このようにミケランジェロの彫刻を見るときは、人体に対する常識の違いから、ミケランジェロのメッセージを見逃してしまう可能性があるのだ。
今回はこの視点を元にミケランジェロの初期の記念すべき作品を紹介する。

■木彫十字架像(1492年作)■
①『ファブリカ』の価値
ヴェサリウスの『ファブリカ』が出版されたのは1543年だが、それより以前から美術の分野では人体解剖を行うことで筋肉の変化や血管の浮き出方などが分かったりするため、行われていた例もあった。
有名なのはレオナルド・ダ・ヴィンチで、彼は人体の解剖を何度も行い、非常に精密なスケッチを行っている。レオナルド・ダ・ヴィンチも解剖図の出版を考えていたが、諸事情で出版のタイミングを逃している。
だから、『ファブリカ』の価値は、当時印刷技術の発展により出版が盛んになり図鑑がブームになっていた流れと、美術界を中心に行われていた観察をメインとした解剖の流れを、上手く整理すると共に自分の所見を加えて、当時の医学状況を批判する体裁までに仕上げることができたことにある。

②教会と許可
そのため、ミケランジェロも実際自分で解剖を行っている。
最初に行ったのが、初期の作品『木彫十字架』が作られる直前ともいわれている(※)。
1492年で、ギルランダイオのアトリエを離れて3年目である。

そのそもこの『木彫十字架像』は、サント・スピリト教会の許可を得て人体解剖を行わせてもらったお礼としてミケランジェロが作り、その教会に寄進した作品だと考えられている。

当時は解剖は、大学で教室の前にある高台で雑用係りに解剖を行わせ、教授がガレノスをベースとした学説を中心に解説するのが中心だった。しかし、すこしづつ自分で解剖を行い観察する流れがでてきて、教会で許可をもらうことで解剖ができる可能性もあったらしい。
そして、ミケランジェロはサント・スピリト教会(フィレンツェにある教会で、サンタマリアデルフィオーレ大聖堂があるのがアルノ河を挟んで北だが、南側の西よりにあった教会)に許可をもらったようである。

③芸術と解剖の表現の葛藤
そのため、解剖後に作られた『木彫十字架像』は、生命が絶たれた人体を忠実に表現されているようにみえる。

イエスの十字架は、磔になり処刑された後なのだから当たり前のように感じるかもしれない。しかし、後のミケランジェロの代表的作品となるローマのサン・ピエトロ大聖堂にある『ピエタ』は磔の後、イエスの母親であるマリアが悲しんでいるシーンを再現している彫刻だが、処刑後のイエスのはずだが血管が生きているように浮き彫りになり、脱力しているようにも感じるがところどころ筋肉が反応して盛り上がっている部分があるという。

これはリアリズムを追求するのも芸術の目的である一方、感動を与えるために生命感や存在感を主張するのも技術の目的の一つであり、この両者が互いに拮抗する中での表現のようである。

現在の医学においても、生命がなくなった人の状態を「ヒポクラテス顔貌」と呼び、その状態が出ている人間の顔は記憶に留めることが難しいといわれている。つまり、生命が無くなった状態をそのまま忠実に再現すると、記憶に残りにくい作品になってしまうという問題を抱えていいるのだ。

そのようなことを直感的に悟り、ミケランジェロは生命が無いものを、局所的には生命感を与えて作品としての質をあげようとしたようである。

しかし、この初期の『木彫十字架像』は、まだ解剖したばかりで知識を覚えるためでもあり、忠実に再現したのではないのか、と言われている。

④生命力の表現の当時の常識
それでは最後に、生命力に関する表現の現在の常識とは違う、当時の表現を紹介する。

まずは冒頭で述べた生命の拠り所は、「心臓」でなく「肝臓」であるというところである。当時は「肝臓」を生命の精気を作り出す場所として考えられていた。心臓が中心になるのはヴェサリウスよりも後で、17世紀初頭のハーヴェーによる血液循環の発見まで待たなくてはいけない。

そして次に大きなものとして、「動脈」よりも「静脈」が生命を支える通り道だと考えいたことである。先程の「肝臓」で作られた精気が「静脈」を主要な運搬路して使われると考えられていたようである。そのため、生命力を表す表現として「静脈」を浮き出した表現が良く使われている。これも血液循環の発見によって覆されたのだろう。

こう考えると、ヴェサリウスの解剖書はガレノスが示す身体の構造上な間違いは多く正せたが、機能的なもののはまだまだ引きずっていたのである。
ルネサンスが自然の観察による表現の追求が一つの目的であるなら、当時の観察眼を知る必要もあるのだろう。

※『解剖学者がみたミケランジェロ』篠原治道を参考文献に。

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